第42回講演(2/4ページ)

 65歳以上の人に普通のような活動をしろといっても、だんだん無理になるわけだ。私でも朝起きると降圧剤3種類、それから肝臓の薬を1種類、それから尿酸値の薬を1種類、胃の薬を飲むから6種類、これを飲んで大学へ出かけるわけだ。多分あと数年経てばこれに糖尿病の薬が加わったり、1日朝1錠でよかったものが昼も飲め、夜も飲めというふうに増えることは間違いがない。そして月1回採血をして検査する。

 まぁ、65歳を過ぎれば大体そういうような状況がだんだん出てくる。これは、すごく財政を圧迫する要因であることは容易に想像がつく。もちろん地方と大都市ではこの状況は違って、東京とか神奈川は、かなりそうなるのは遅い。ということは、逆に言えば地方ほどそれが早くやってくる。

 この前の能登地震の時でもわかるが、住んでいる人は高齢者だけ。地方はそういう状態が実際上起きている。

 今申し上げた数字で大体のイメージがつかめたと思うが、まずやってくるのは必然的に財政の困窮、つまり収入の減であり負担の増大ということになる。
 実際、国レベルでは所得税は取れない。地方レベルでも個人市民税、住民税、それは最低限しか取れないから、入ってくるお金が少なくなってくる。
 結果としてどうなるか、国は地方を切り捨てることになる。今の状況、小泉内閣の姿勢はまさにそういうことだ。そうすればそのあおりで、福祉に金がかかるからこの流れは極端なことをいえば福祉からということになる。

 70歳以上の医療費は無料だったでしょ?ところが今は負担しなければいけない。我々、現役のころ、といってもまだ現役だが、私学共済は1割負担でよかった。しかし今は3割負担。
 1割負担のときはよかったが、私みたいにいくつかの疾患を持っていると、3割負担は大分大変だ、。そういう状況にならざるを得ない。だから、地方分権といっても、結局は国がやれないから、地方に押し付けているような格好になっている。
 このような状態が続けば、当然小さなパイを巡って色々な問題が生じることになる。つまり、国自体が小さな政府を施行するという方向にあるわけだから、残る小さな政府のパイの取り分けということになる。大きな政府の時は大きなパイだから色々なかたちでその分け前にありつくことは可能だが、パイが小さくなるとその分捕り合戦が大変になるということだ。

 私が1996年にC計画でオハイオに行った時に、ちょうどこの年は大統領選挙の年で、つぶさにそれを見学することができた。
 その選挙のとき、アメリカは大統領だけではなくて、上院その3分の1、それから下院議員も一緒にやる。州の上院、下院、それから場合によってはカウンティの議員だとか色々な選挙公職があるからシェリフだとか、会計検査官だとかそういう選挙と共に住民投票も一緒にやる。
 色々な争点があって、これを住民にその賛否を問うというやり方をする。そうすると、「こういう施設を造りますからこのくらいお金がかかります。造りますか?造りませんか?」というようなかたちでやる。

 通る法案をみると、治安、これに類する住民投票は賛成が多い。教育はというと、アメリカというところは住むところが所得別で決まっている。そこでコミュニティを作っているわけだが、その所得があるところ、言い換えれば税金を払っているところに学校を作るというのは賛成、ところが貧困層のところに作るということになるとノー。
 まして福祉関係というとアメリカの場合はいわゆるアフリカ系アメリカ人の人たちが住むような、色々な給付的な手当てだ。これにはノーだ。
 つまり住民投票をやると、そういう納税者の意識がストレートに出てしまう。これは後で議論になるが、格差社会をどうするかということにも密接につながると思う。

 こういったかたちで住民投票の傾向が出ているということになるわけだ。今日のテーマの格差社会ということだが、これは色々な定義がされている。

 格差社会とは「ある基準を持って人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である状態が存在する社会」
 学術的な定義というのは抽象的でどうしてこんなにわかりにくい定義をするんだと思う。
普通の社会の常識で言えば、こっち側にいる人はこっち側に移れる可能性が大きいほうがいいわけだ。
 ところが格差社会というのは一旦こっちに入ってしまうとこっち側に抜け出せない社会。
つまり、格差が階層間で固定化してしまう社会ということになるわけだ。
 具体的に議論となっている格差にはどういうのがあるかというと、大体3つの分野といわれている。
 それから派生して、またいくつも分類化できるのが社会的地位の格差だ。これは身分保障の格差といわれるもので、例えば正規の社員であれば色々なかたちで身分が保障される。それを受けられる人とまったく受けられない人が出てくる。
 日本国憲法で謳っているように、法の下で各人は権利を保障されている。一応、そうなっているが、実際にはそうならない層が出てきているということだ。

 それから、当然経済格差、これは収入によって表される。例えば、今日のテレビでも出ていたが、「ネットカフェ難民」という言葉だ。
 アパートを借りられない、ネットカフェとか、漫画喫茶だとか、そこを定宿にして、つまりそんなところで暮らすことによって、寝るところを確保する。けれど、それは硬いイスで寝なくてはいけない、健康に悪い、食事はカップラーメンで済ませる。こういった若者たちが増えている。いわゆる収入がある層とない層とが大きく出ているということだ。

 それから教育格差もいわれている。つまり教育をきちんと受けられる層、例えば今の教育でいと都立や県立では不安だと、だから中学高校とちゃんとした私立へ入学させて教育をするといったようなことだ。加熱しているところでは幼稚園の段階からだ。教育コストがかかるわけだから、当然、そういった機会に恵まれる人と恵まれない人では違ってくる。
 これは経済格差とも連動するし、当然医療格差にも連動し、病気になっても病院に行ける人といけない人が出てくる。そういった様々な格差が生じるわけだ。
 その格差の背景を探ってみると、よく言われるのはバブルの崩壊による長期不況があったということだ。そしてその不況を乗り越えるためにいろいろな形で構造改革を行ってきたということ。

 構造改革とは具体的に何かというと、給与を抑制するということだ。それから、場合によってはリストラ、肩たたきを行うということで、どんどんそういうことを進めていく。そしてその減らした分はパートやアルバイト、つまり非正規雇用者をもって充当する。その結果、2005年には非正規雇用者は完全雇用者の約3割に上っている。この人たちは、低賃金で働かせて、派遣の色々問題で新聞紙上をにぎわせたことで、みなさんご承知かと思う。そういうものが出てきているということだ。

 この格差を助長した要因として、もちろんバブル崩壊による不況があったわけだが、それプラス実力主義にもとづく自由競争を好む新自由主義的な政策、これをネオリベラリズムというが、つまり高額所得者に対しては所得税の減税、それから相続税、固定資産税等の資産課税の減税が行われた。だから金持ち優遇だということだ。
 これもわからないわけではない。つまりそういった人たちを多少減税することによってその人たちが意欲を持って働けば、経済が拡大して、実質的に税収につながるという、つまり牽引者として働かせるためにはそういった人たちを優遇させたほうが一生懸命になるだろうと。

 つまり、どうせ働いたって大半を税金で持っていくということになれば、あまり働く気がしないだろうということを唱える経済学者もいる。それだけであればいいが、その一方で消費税つまり3%から5%というふうに替えた。

 消費税というのは、これは低所得者に対しても同じようにかかってくるし、逆累進的な性質を持つ。必要なものは収入がなくたって買わなければいけないということで負担が増えるということだ。

 それから、低所得者への色々な控除が廃止になったり、あるいは福祉予算が削減されたり、つまり両方で「ワッ」といったもんだから、急に上と下の中に線が引かれて、格差という線が引かれて分極化した。
 これは政策だから、当然こういう格差が出ることは多分わかっていたと思う。政治を担当する人は、それもわきまえてやっているふしがある。

 例えば、格差肯定論者がいる。これは格差をどうみるかというと、格差はがんばった人が報われた結果生じるもので、格差がある社会は否定されるべきではないと考えている人たちだ。その代表格は前総理の小泉さんだ。それから、安倍現総理もそういう考えに近い。それから竹中平蔵氏、それから財界では宮内義彦さん。そういった人たちが格差があってもいい、つまり自由競争でがんばった人が報われる社会がいいんだという考え方だ。
 その代表的な論者というのは奥谷禮子という、名前を聞いたことがあると思うが、ザ・アール社長で日本郵政株式会社・社外取締役、この人はなんと言っているかというと、「格差は甘えです」と。一刀両断に切り捨てる。過労死でもそんな発言をして物議をかもしているわけだが、そういう人たちがいる。しかし、現実問題としてそう言い切って割り切れるのかということだ。

 例えば今、生活保護世帯は百万世帯を超えている。それから、ワーキングプアといわれる人たちも増加をしている。それから、フリーター、ニート、ネットカフェ難民いった言葉、これはまさに象徴的な言葉だ。
 当然こういった人たちが存在することは大きな影響を社会にもたらすと思う。そういう人が増えることは、当然経済活動が衰退する。つまり、ぶらぶらしているといっては語弊があるが、アメリカ社会のように地べたに座り込んでウィスキーを飲んでいたり、あるいはドラッグをやっていたり、日本でそうなるとは思わないが、ただ、小田急の駅の中で高校生が茶髪であぐらをかいてマクドナルドのハンバーガーを食べたり、ペットボトルでお茶を飲んだり、その他ドリンクを飲んだりしているのをみると、まさに予備軍かなぁと時思わざるを得ない。そういうかたちの人が増えていくと働くことに意義を見出せない。
 つまり我々は勤労の義務ということをしつこいくらい言われてきたが、そういう義務を放棄するわけだ。

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