第39回講演(3/4ページ)
明治になって日本は開国し、富国強兵政策を執った。この漢詩は富国強兵策の教義みたいなものだ。日本でも明治時代には大変に意識したと思う。この時、ナショナリズム(国家主義)が強くなった時代だ。国民一人ひとりより、国全体が盛んになっていこうといった時代だ。文化の時代に対して政治の時代と言うことができる。
やがて、日本は膨張していって三つの戦争を行った。戦争に関しては正しかったかどうかはわからないが、日本が開国したころ、世界は帝国主義の時代だった、弱肉強食の時代だった。日露戦争当時は大分追いつめられたことがあったかも知れない。その後、それが正義として言えるかは難しいところがある。
太平洋戦争で1945年に日本は負けた。負けて主権在君から主権在民と言うことで民主主義になった。一時、元の国に攻められて危ないことがあったが、台風による神風で何とか凌いだように、これまで日本は戦争で負けたことがない。負け方がわからない、先輩方の責任を問うわけではないがやむを得ないところもあった。ヨーロッパでは常に勝った負けたを繰り返していたので、負けたときどうするかのノウハウを持っている。死んだふりをする国もある、兵を養うこともある。ドイツなどは第一次大戦から第二次大戦の間は兵隊をつくらずに将校ばかりをつくっていた。イザとなれば組織立った体制をとる、このようなこともやった。ドイツは人口が半分に減ってしまうような、最後かつ最大の宗教戦争も経験した。
第一次大戦ではあれだけの敗北を喫して、大きな賠償金を課せられて再起不能といわれながら、やがてヒットラーがでてきた。第二次大戦でも負けたが負け方を知っていて占領軍の言うことを聞かないようなノウハウがあった。
例を挙げると、日本には独占禁止法がある。これができたのは1947年だ。ところが同じ敗戦国のドイツに独禁法ができたのは1957年だ。ドイツはカルテルの母国と言われるくらい独占体指向の強い国だ。あっさりとは言うことをきかなかった。
教育制度でも、日本は中学校があり商業学校があり農業、工業学校があり、高等小学校があった。いろいろな道筋があったが、6・3・3制になって一本化したが、ドイツは頑固に変えなかった。大学への進学率は日本よりも圧倒的に少ない。逆に言うと大学をでていなくても、十分に社会でやっていかれるような資格を付与する教育制度になっている。マイスターがそうだ。
そうすると、日本は初めての負けで負けたからやり方も体制も悪かった、考えが悪かった、全部が悪かったと思った。これで日本は変えてしまった。これほど速いテンポで変えてしまった国は史上稀だ。
人口動態でみると、当時は5人、6人、7人兄弟が結構いた。3人は非国民かも知れない。戦後の22、23年ころまでは、戦中の産めよ増やせよとあわせてベビーブームとなって、ここまでは子どもがいた。その後、ガクッと減ってくる。1学年当たりの人口がガクッと減るのではなく、全体の子の人数、何人の子を持っているかが減ってしまった、一人とか二人とか。戦後生まれが第一子目で5人、6人の兄弟がいるのは珍しい。このような人口動態はヨーロッパが300年も400年もかけてできたトレンドだ。
マッチ売りの少女の物語があるが、福祉があれだけ進んだデンマークで、アンデルセンが書いたあの当時で、マッチ売りの少女がマッチをかざしながら凍えて、クリスマスの夜に暖かい家を夢見ながら、雪をかぶって死んでいった。人が養えないのはヨーロッパでは多かった。ヨーロッパでは1700年代中盤の産業革命からようやく食べられるようになった。それでも1790年代に書いたマルサスの人口論、食糧の増え方と人口の増え方は違う、やがて何処かで食糧の増え方より人口の増え方が多くなって餓死者がでると言うものだ。マルサスの危惧だ。彼はキリスト教の僧で、産児制限せよとは言いずらかった。道徳的な話をして減らそうとしたくらいだ。
日本は人口を一気にヨーロッパ並にすることができた。教育制度もパッと変えた。食生活を大きく変えた。朝、パンを食べてハムを食べてなど、戦前の日本ではやっていない。住宅を引き戸からドアにしたことも大きな変化だ。柱があって、襖を開くと広間になって冠婚葬祭に使えた。冠婚葬祭が自宅から離れてしまった。
私は昭和17年にお産婆さんによって自宅で産湯をつかった。ところが、戦後生まれた弟は病院で出産した。
病気になると、医者が自宅に往診にきてくれて、脈をとったりしてくれた。老人もみんな自宅にいて長男、または家を継ぐ人と一緒に暮らしていた。老人ホームなんてなかった。自宅で死んで葬式も自宅だ。すべて自宅で行われていた。ところが、家の構造的にもできなくなった。6畳、8畳が細かくドアで仕切られて、これでどうやって葬式をやるのかと言うことだ。住宅も引き戸からドアに変わったように、こんな短期間に変わった国はない。
アジア、アフリカ、アラビアの国々の民族衣装は結婚式のために着ているわけではない。普段も着ている。日本のように、衣・食・住を短期間に変えた国は非常に珍しい。これが近年、日本で起きる物事のひとつの遠因であろうと思っている。
江戸時代はこのような変わり方をしていない、と同時に、哲学的なことやモラル、倫理などが比較的変わらなかった。外から何かが入ってきて、パッと変えることをやっていないから、自分たちの考え方がかなりしっかりしていた。
私が心臓の治療で入院したら、先輩から見舞いに本を贈ってくれた。その中に藤原さんの書いた「国家の品格」があって、これを読んだ。
品格と品位はものの善し悪しの程度であって、必ずしも上等なことを言っているわけではない。私が学生の時、「品行は悪くてもいいが、品性下劣なことはよくない」と言っていた先輩がいた。そこで「品行は悪くても、品性下劣でなければいいのか」と思ったことがある。その時は、品行と品性を深く考えなかったが、「品性」とは性格を道徳的価値としてみる場合の言い方だ。「気品」と言う言い方をすることもあるが、「品格」ではなくて、本当は「品性」をキチッと保つような国民になるべきだと言うのを、藤原さんは言いたいのではないかと思う。
藤原さんが若いころ書いた本は、もっと言動が爽やかで納得していたが、最近の藤原さんはあまり納得していない。と言うのは「国家の品格」でも、声が大き過ぎる。いつでもそうだが、右翼でも左翼でも声が大きいのはいかがわしい。俗受けする言い方は品がいいとは思えない。
例えば、「富士山は世界一の山であることは、誰でも分かっていることだ」と言う言い方は、立派な山だとか、見るとすごいねなどはいいが、世界一の山であることは誰も文句はないとか、当然のことであると言う言い方はナショナリスティックと言うか、少し威勢が良すぎる、余計なことだが。
「品性」がいいような国民にはどうしたらいいか。藤原さんの言っていることに全部反対ではないが、道徳的倫理的にみると、今、社会規範の乱れがあるのではと思う。
まず、エリート層の乱れ。
高級官僚などで、これは本当に高級ではない。経済学では19から20世紀にかけて、イタリア人のパレートと言う人がエリート論をだしている。本当のヨーロッパのエリートはこのようではない。
日本は偏差値が高い大学を出て、自分に有利な仕事に就いて一生これで食っていく、このように考えている人間だと思っている。この層が基本的に乱れている。
プロフェッショナルの乱れ。
これは専門家としての矜持が足りないと言うか、もう少し主張してもいいのではないか。「そんなものはできねー」とか「俺の沽券に関わる」と言うことがあってもいいと思う。
家の内装をいじった時、「ここはまずいな、こっちの方がいいな」と私が言ったら、「そうですね」と大工さん。「施主が何て言おうがこっちほ方がいい」と言うくらいの方がいいと思っている。これは矜持が足りなくなっているのではないかと言う気がする。
これとは裏腹に、素人がでてくる。典型的にはテレビのタレントがそうだ。素人とおぼしき人が平気でギャラを取っている。
もっと言えば、(ここにいる)みなさんと新入社員の所得格差がなさ過ぎる。日本の場合、社長と新入社員との所得格差がなさ過ぎる。私と新たに入った30歳の給与の格差が少な過ぎると思っている。これは待遇の尊敬度の低下につながると言える。
一般社会人の乱れ。
これは分相応をわきまえる。この場合の分とは身分のことだ。今は我々には身分の違いはない、全員が平等だ。ただし、誰が、何でも同じことをやっていいと言うわけではない。
私が学生の時、父親が会社から「グリーン車に乗ったらどうか」と言われたが、「そんながらではない、余計なカネをかけることはない」と言っていた。私は父が死ぬまでグリーン車に乗ったことがない。今、それは子どもにも言っている。娘には、「私と一緒ならグリーン車にも乗せるが、一人では乗るものではない」と言っている。これは分だ。「子ども、学生あるいは若者の分際で」と言うことだ。
このことに対して日本は非常に乱れている。ヨーロッパでは「分」はよく守られていて、学生たちは非常に質素だ。学生食堂の飯がまずいなどとは言わない。毎日250円のものを朝、昼、晩と食べている。これがヨーロッパの学生の分際だ。
しかし、面白いことに大学では250円の同じ食事が教員の私が食べると500円だ。まったく同じものなのに、倍払わされる。これが「分」と言うものだ。
マスコミ、ジャーナリズムの乱れ。
これは、今や第4の権力どころではなくなっている。第1の権力があるくらいだ。千葉県の補欠選挙でもタイミングよく民主党の代表が代わって露出したのが、これが(好結果に)大きく影響したと思う。つまりマスコミ、ジャーナリズムは大きな影響力を持っていると言うことだ。これがやっていいことは、対権力についてはいくら強くてもいい。ところが、仲間のようだ。これはエリート層の乱れと重なっていると思う。つまり、出身校が同じだったり、同じ層からでている、これは駄目だ。この人たちはもっと自分たちのことを意識しなければ駄目だ。マスコミ、ジャーナリズムの人たちが何々審議会とかの政府の委員になっている。私も審議会の委員になったが、マスコミではない。それから、勲章などは絶対にもらっては駄目だ。そういう禁じが必要だ。
家庭の乱れ、教育の乱れ。
日本人の道徳観、倫理観は儒教によるところが非常に大きかった。藤原さんは、「今こそ武士道だ」と言う。東海大の山下さんと経団連の奥田さんとの共著になる「武士道とともに生きる」もでているが、武士道とは武士の道を述べたものだ。「武士道とは死ぬこことみつけたり」とも言うある一派があるくらいだ。
元々は武士のあるべき姿、規範を示したものだ。これを町人商人にいたるまで全部が持ったなどはありえない。全員が武士道の精神をと言うのはおかしいと思う。
中江藤樹は11、2歳のころ中国の書物を読んで聖人になる、身を修める(修身)ことに志を立てたと言う、大変な秀才だ。この中江藤樹が「人の道の思想、行為の条理を表すものが道である。道とは元々キチッと決まったものであって、それに立脚して法をつくる。法はその時々、場所によって変わってしまうので道と法を考えると、法はもっと軽くていい」と言う話だ。
中江藤樹は道を悟った行為、いくべき本来の条理、筋道が通ったところにいくのが「徳」だと言う。「徳を積むためには小膳を多くやればいい。大膳はすぐに人の目につく。小善はなかなか人の目につかないが、一番大事なことは小善は積むことだ。そのことによって徳になる。その徳が身について品性になる」と言っている。この話は、松前重義前総長が感銘を受けた内村鑑三の書いた「代表的日本人」の中に、二宮尊徳や日蓮上人、上杉鷹山と一緒にでている話だ。
第39回講演(4ページへつづく)
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