第39回講演(2/4ページ)
近年、何が起こっているかが問題だが、例の問題と言うと分かってしまうくらいの出来事がある。建築の確認がキチンとなされていない、あるいは一級建築士が法律に違反した。法律に違反したと言うよりは、むしろモラルの欠如だと言える。国家試験を受かった医師がやっていけないことをやったなら、大変なことだ。 私は1、2、3月と入院して心臓の血管手術を行ったが、この時研修医の点滴が下手だった。技術的な巧い下手はあるが真面目にやるかどうか、大事なことだ。 私は高級官僚は低級だと思っている。税金を無神経に使って、且つ一定の年齢になると外郭団体に天下って何年か禄を食んで退職金を貰い、また違うところにいく、このようなことをやっている。これを見ていると、自分の利益しか考えていない。国家のことを本当に考えているのか、これはまさにモラルの欠如だ。 経済の面で言えば、ライブドアの問題だ。一見ルール破りのようだが、市場外取引など、一応市場経済のルールに則ってやっている。では市場経済のルールに則っていればいいのかと言うことだ。しかし、その後、粉飾決算がでてきた。これはルール違反だ。 アダム・スミスの時代より前、1700年代中盤くらいまではカネを儲けることはいいことだと、声高に言うことははばかられた。キリスト教の精神から言ってもそうだった。ところが、キリスト教の精神と言っても1500年代始めの宗教改革から、カトリックに対してプロテスタント、新教の人たちが「経済活動をするのに、営利を目的にすることはおかしくない」と言いだした。カネ儲けを経済活動ですることはおかしくないとの考えは、200年くらいの歴史はある。しかし、声高に言うことははばかられるところがあった。 とは言っても会社ならともかく、自分にとっていつも有利なことだけを主張すると言う自利、自分主義(エゴイズム)を声高に言うのはおかしいし、自分が有利なことばかりやったら「うまくいくはずがない」と言われていた。ところが「うまくいく」とスミスが言った。そうしたら、何となくうまくいきそうだと言うことになった、これが市場経済だ。その時スミスは「自分に有利なことをお互いやることによって、全体がうまくいく」と言った。なぜうまくいくか、インビジブルハンド・「神の見えざる手が働くからだ」と言った。神の見えざる手とは、簡単に言えば市場の需給だ。これがうまく働くには市場の独占、政府の保護はいけないことになる。と言うことで、市場経済では未だに独占禁止政策がある。 途中、多少の問題が起きたが、何とかうまくやってきた。ただ、これには必ず前提がある。スミスが「自利をみんなが主張してもうまくいく」と言ったのは、「お互いにシンパシー(同感)の概念が市民にはあるからだ」との考えだ。同時に、イギリスのモラルある市民社会を想定していた。だからうまくいくと考えられていた。ところが、この市場経済が万能ではないことが分かってきた。 1850〜60年ころからいくつかの問題がでてきた。それまでは比較的小規模の経済が産業革命によって大規模で世界化してきた、いまのグローバリゼーションだ。これで二つの問題が起きた。一つは自分たちの周りでは起きなかった小規模な景気変動が起こってきた。景気が良い悪い、失業がでたり物価が上がる下るの問題がでてきた。 もう一つはアダム・スミスたちの考え方だ。経済学では古典派と言うが、俗な言い方をすれば「どうも気楽そうだ、そんなにうまくいかないよ」と。彼らが考えていることは、イギリスの市民社会を前提にしているが、世界各国は発展のレベルが違うし、それぞれの国も有る。 当時の様子を見ていると、グローバリゼーションに対する考え方、市場経済に対する考え方は今でも古くない。勿論時代が違うので情報の速さも違うし広さも違うので同じにはいかないがそのような状況がみられる。 近年、モラルの低下、規範が乱れた出来事が起きているが、1500年とか2000年の長い歴史の中で明治以前の江戸時代までは身分社会で、比較的安定していた社会だった。世界史的にみても一国が270、80年も外との戦争も行わず、国内戦も起きないのは非常に珍しい。これは経済社会の発展に貢献したと言える。徳川幕藩体制の最大の貢献と考えられる。町人も武士も激しいことはやらないでひたすら爛熟した文化を享受した時代だ。今のような冨の絶対的な高さはないが、それなりに豊かな時代だった。 この時もう一つ、江戸の文化の時代は寺子屋があったり私塾があって、非常に教育が行き届いていた。徳川幕府は反乱が起きないように、リストラクションと言うか頻繁に配置替えを行ったりして厳しい政策を執って、難癖をつけては藩の取り潰しを行った。このために禄を離れる武士が結構でた。この人たちが私塾を開いたりしたことでかなり多くの人たちが言わゆる学校に通っていた。 子どもが学校に通うことは発展途上国では非常に難しい。学校に通うことは労働の機会が奪われることだ。教育にカネがかかると言うことは直接的な費用ではなく、経済学では機会費用と言うが、「むべかりし収入がない」と言うことになる。10から12歳くらいの丁稚奉公に出すまでは通わせられたと言うことは、それだけ余裕があったと言うことだ。 明治になって義務教育となった時に、子どもを学校に通わせることがすんなりといったことは世界史的にみて珍しい例だ。江戸時代は戦争をしないで、国内に富を蓄えて、みんなで比較的平等に分配して、ある程度教育も行えた文化の時代だった。 正確ではないが紀元前500年くらいか、春秋時代の斉の人で管仲と言う人が書いたものの一説に 「衣食足りて礼節を知る」とよく言う。これは最後の栄辱が一緒になったものらしい。国に生産がたくさん行われて、グッズが増えてくると遠くから人が来るようになる。地避挙は開発のことらしい、開発するとそこに人が居留する。米蔵をはじめとした倉庫に穀物がいっぱいになれば礼節を知る。節度をわきまえ道徳的になるだろう。衣食が足りれば名誉であるとか恥ずかしいことであるとかがわかるようになる。 第39回講演(3ページへつづく) |