第25回講演(3/4ページ)
構造改革の中身のどれを先にするかをみると、不良債権が第一で、これを処理しなければ企業は元気がでてこない。これは誰でも分かっている。それ以外については議論が分かれる。改革の工程表が発表になった。本来なら大事なところから一番に執りかかって欲しいが、やりたいことから先にやるという感じが受け取れる。例えば医療改革は大事だが一番に手をつけることができない。社会保障も実際に行われてはいるが成功するかは予断を許さない。 構造改革を進めた時の痛みについて私が描いたものにはいくつかある。第一が不良債権は、銀行がカネを貸している企業の面倒を見られないということで融資は勿論、債権放棄など絶対にしない。法的処理を行い倒産となる。失業もでる。最悪の事態が起きる。二番目には景気がさらに悪くなる。社会保障関係の支出で言えば、すでにいくつかの問題が出ているが高齢化社会でありながら、高齢者に負担を強いる事態になっている。初診料の引き上げなどが出てきて、今までのような十分な社会保障はできない。後は自分で負担することになる。さらに資産価値の一層の低下が挙げられる。景気が悪くなって需要が落ち込むと担保も貸借対照表でも資産価値の目減りは顕著になる。それから財政の支出が滞ってくるので公共サービスが貧弱になってくる。 サッチャーの時と同様に、その部分だけが強調されると政策的に正しい評価がなされない。看護婦の削減で医者が減らされ医療体制がでたらめになったと評価された。しかし、よく考えると“ゆりかごから墓場まで”と言われるシステムを作り上げたイギリスのような国では、多少でもそのようなことが起きると必ず言われる。 イギリスでは医療については完璧なシステムができ上がっていたからサッチャーが改革した時は鉄の女とか言われたが、その後大きな問題があったとは指摘されていない。むしろ、ブレア首相になってからはサッチャーのやり方をかなり踏襲しいている。教育でも競争原理を取り入れた。教師は成績次第で評価が上がる。大学教授より遥かに多い給料を中学校の教頭は得ている。それだけ住民の評価が高い。 これらを考えると、サッチャーのやり方は構造改革そのものであったが長い目でみるとそれなりの評価がでている。改革の順番をどうするかは重大な問題となっている。 では、痛みをどのように考えたらいいか。それは小泉首相が言うように経済に活力が生まれる、日本の経済の潜在能力を引きだす改革である。誰にも頼らず自助努力、自己責任でビジネスを展開する。政府に頼ってはいけない。起業家精神に基づいてやっていかなければならない、こういうことだ。痛みはあるが、これは起業家としてしっかりしたものになることを示唆している痛みだ。このように理解したらいいと思う。 私は数年前、エンサイクロペディアブリタニカの依頼で“起業家”の項目を書いている。調べてみればみるほど“起業家精神”とは意味が深いことが分かった。生易しい知識では書けない。起業家精神を発揮することは非常に難しい。 痛みのもう一つは事業構想力がある。これを身に付けて痛みを克服することだ。新しいビジネスモデルのやり方を思いつくということだ。なぜこれが大切かというと、今までのようなものでは先行きは暗い。 私は学者の身で無責任なことは言えないが、利益率を言うとリターン・オン・インベストメント、一定の投資に対してどれだけ儲かるかの指標がある。これを日本人は余り考えない。売上高、そしてマーケットシェアで勝てばいい。小売りも卸売り業も収益率を余り考えなかった。 これに対してアメリカやヨーロッパは非常にシビアだ。どれだけ投資しどれだけ儲かったか、これがハッキリ分かれば究極的なマーケティング手段がとれる。それは価格政策だ。日本は長い間メーカー希望小売価格をとっていた。日本はメーカーが決めて小売業者は何も考えない。これではいつまでも本当の商売はできない。 日本人のビジネスマインドに危険負担についての欠如が挙げられる。東大名誉教授・中村元の「日本人の新方向」に仏教が中国から日本に入って来た時、日本人がどのような対応をしたか。外国のものの受け入れかたの答えを出している。現状を維持する気持ち、改革の気持ちなどが書かれているが、その中に合理的に物事を考えることを優先順位に置かない、こういう鋭いことを指摘している。これは仏教哲学から出されたもので、私は合っていると思う。 第25回講演(4ページへつづく) |