第17回講演(2/4ページ)
●衛星の下ではどんなものも隠せない
レーガンの演説内容はこのような状況ですが、ブタペスクの造船所から出た労働者ワレサ氏は大統領になりました。ワレサ氏が大統領の時、色々発言したんですがその内容も全く同じようなものです。「世界は衛星放送によって一つになった。村として考えるべきだ。喜びも隠せないし悲しみも隠せない。兵器も隠せない。そしてもはや何も隠せない」と述懐しています。
しかし、衛星が集める情報は軍事だけではなく、あらゆる情報、例えば地球の環境、河川、海洋の問題、また収穫の状況、地域開発がどう進んでいるかなど、衛星情報ではっきりでてきます。特にその中でも軍事行動ですが、衛星で監視されています。軍事施設がどんどんできる。陸軍戦略地、海軍戦略地、それもバレてしまいます。「もう秘密は隠せない」と彼は言っています。まさに今、その通りになっています。
衛星は上空300キロくらいの所をくるくる回るわけです。静止衛星は3万6,000キロですが、こういった軍事的な情報までとれる衛星が上げられるようになったのはロケット開発によるものです。ロケット開発はあちこちで努力して、研究開発の結果が実ったというのではなく、実はヒトラーに始まります。
ヒトラーがドイツの政権をとったその後、フォンブラウンという人が陸軍の依頼を受けてロケット研究を始めました。
最初は東ドイツのクンマースドルフという所にロケットの研究施設がありました。その後、バルト海に面したペーネミュンデという所に移転して、大きなロケット研究施設が出来上がっていきました。
その後、ポーランドに進攻して第二次世界大戦が始まります。この辺からロケットの開発が、特に軍事用に進められました。
最初にうまくいったのがV2号ロケットです。85キロしか上らなかったらしいんですが、それでも宇宙に上がっていったわけです。V2号の実験に成功し、V1号が開発され、ロンドンにどんどん打ち込まれました。映画にもよくでてきますが、命中精度は悪いんでかえって怖いんです。軍事施設でない所に落ちるんです。
●衛星情報時代をもたらしたロケット開発
V1号ロケットはドイツ中央の山岳地帯の中でつくりました。地下工場で月産300から900本つくっています。相当な数です。これをロンドンに打ち込んだという歴史が残っています。
1120発がロンドンに向けて発射されました。その結果、511人のロンドン市民が死亡し約6000人が重傷を負ったと発表されています。
第二次世界大戦の結果、ドイツは降伏します。この時、連合軍とソ連軍が第一に取りたかったのはこのロケット技術だったんです。そのためにペーネミュンデにどちらが先に行き着くかの競争をしたんですが、ほぼ同じで技術者・研究者を連れて研究所長は西側に投降してしまいます。頭脳は西側にいったんです。そしてその時開発したV2号ロケットも大部分が西側にいきました。ソ連の方にいったのは残った工場の工員です。いわゆる研究者でなくて働いている人たちです。勿論V2号ロケットも持って帰りました。そのV2号が基本になってロケット開発が始まりました。このように言われています。
最終的にはイギリス軍が600機の爆撃機を出して壊滅させてしまいます。デンマークが近く、バルト海に向けて何発も打ち込んで実験していたんです。この研究所でつくられたロケットは標準化されたロケットとして開発されました。これが世界初のプロトタイプロケットというわけです。一部はロシア、一部はアメリカに持っていかれる。それを使って改良に改良を重ねて今日のロケットになったんです。ロシアはこれを基本にして最初につくったのがスカッドです。これは今、北朝鮮が打ち上げているロケットの基になっています。ロケット開発は、その後どんどん進んでいったわけです。
第17回講演(3ページへつづく)
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