第17回
1998.12.15 シャトレー・イン横浜

東海大学総長 松前 達郎 先生


第17回講演(1/4ページ)

 

宇宙情報戦略「隠せなくなった秘密」

 

●情報が大きな力を演じる時代
 宇宙情報戦略という堅苦しい演題ですが隠せなくなった情報といった方が面白いと思います。今日は特に宇宙に関する話をさせて頂きたいと思います。
 もう既に20世紀は終りに近づきつつあるわけですが、20世紀はどうも戦争の世紀だったと思います。20世紀の後半になって、時々新しい発明が起きつつあります。これは人によってネーミングが違いますがはっきり内容を示すような名前は、情報革命という呼び方をしている人が最近増えてきています。
 20世紀後半に情報が非常に重要になってきました。力が遺憾なく発揮されるようになってきたわけです。とりわけ最近のことで記憶に新しいのは、1989年のヨーロッパの頃に話を戻してみますと、その頃の東ヨーロッパ、西ヨーロッパという自由主義の国々と共産主義、社会主義といっても言いでしょう、そう言った二つのグループに分かれていたわけです。特に東の方はソ連のサテライトとして、衛星国としてソ連の影響下にありました。それが突如として、1年くらいの間に崩壊してしまう。これについても、みなさんご記憶にあると思います。その一つの大きな力になったのが情報ではないかと言われています。
 ソ連の傘下にあった市民が、それぞれ立ち上がって民主化の波が吹き荒れた、それが1989年のことです。
 その嵐は、まずポーランドに始まって、その次がバルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアです。それからハンガリー、そして東ドイツ、ブルガリア、チェコスロバキア、ルーマニア、こういうふうにどんどん広がっていきました。たったの6カ月なんです。この間に東ヨーロッパの共産主義はもろくも崩壊していったことになります。その原動力として挙げられるものは一体何だったのか、色々検討しますと情報が非常に大きな役割を演じていることになると思います。
 前のレーガン大統領がロンドンで講演した時の内容をまとめてみますと「情報は力を持ってきた」との趣旨のことを言っています。「より遠くに、より早く大量の情報を流すことができる時代になった」と。そして、その次が大きな問題です。「いかなる軍隊よりも、いかなる外交手段よりも通信技術の革命こそが人々を自由にさせ、前進させる大きな力になり得るんだ」と言っています。これは東ヨーロッパが崩壊する前です。
 そして独裁者、共産主義国家の場合は完全な独裁的な国家体制でしたが、その最大の独裁者でもこれには勝てないということです。
 例えば国境に鉄条網が張り巡らされ地雷が埋って壁をつくっていても、情報はジワジワとその中を通り抜けていってしまうと述べています。鉄のカーテンはコンピューターのマイクロチップにとって、非常にもろいものになってしまう。その結果、何が起こるかを彼は予言しているんです。レーガンは俳優だったんでそんなことを勉強したのかどうか。いずれにしてもこのような予言をした後に崩壊が始まりましたから、彼の見方は正しかったんではないでしょうか。
 では、力を持った情報がどういう役割を演じたか、具体例を申し上げる前にご存じのベルリンの壁があります。これも崩壊しました。西側のノイエスドイチェランという新聞記事にコンクリートのブロックで壁をつくっている人がでています。そして、そこに掲げられている看板には一体何が書いてあるかというと「誰も壁などつくろうとは思っていないんだ」と。東ドイツの大統領が「壁などつくろうとは思わない」と言った途端、半年くらいで壁ができてしまったという皮肉たっぷりの看板が掲げられたわけです。
 それでは、壁の状況はどうだったかというと、大変な作業だったと思いますが壁が出来上がっていきました。この壁も崩れてしまう。こういう力が情報であると考えたわけです。
 そうなるとどういうふうに壁を崩すか、あるいは東側の国家体制を変えるための情報が戦略的に使われたかです。この時は東西ドイツに分かれていますが、国境に沿って地上波の放送局ができています。
 自由ヨーロッパ放送というのがあって、これが毎日24時間ものすごくたくさんの言葉を使って、東側にどんどん放送を流したんです。その放送局の所在地から電波がいたるところまで及んでいます。
 こういった地上波は同じ周波数の電波をだすと妨害できます。地上波には妨害電波があるわけです。最初は効果があったんでしょうが、段々効果が薄れてきます。
 その次に大きな力となったのが宇宙から下ろす電波です。衛星放送です。このアストロ衛星がどれくらいまで放送を流せるかというと、40デシベルで一番外側(離れた所)で1メートル半くらいのパラボラアンテナで10分聞くことができます。しかも、放送の波は上から下へおりてくるんで妨害のしようがないんです。いくら妨害してもそれを止めることはできません。もし止めたいなら、衛星を打ち落とすしかないんです。衛星を打ち落とすのは、国際条約で禁止されていますからできません。このアストロ衛星はルクセンブルクの衛星ですが今でも動いています。この衛星が西側の情報をどんどん戦略的に東側に流していったんです。これは防止できなかったんです。それを東では密かにパラボラアンテナをつくって、この放送を録音してアングラであちこちに配ったんです。
 こうなると一番外側の放送の届く所は東ドイツは勿論、ポーランド、チェコ、ルーマニア、ハンガリーなど、殆どの国で放送を聞くことができたんです。その放送を聞いて何を感じたか東側の人に聞いたんですが、どうしてあんなに物が豊富なんだということです。

 

●民主化を押し進めた情報の力
 もう一つは、西側の国の人たちは自分の国の指導者の悪口をあんなに言ってもクビにならない、罪にもならない。当然ですが不思議でならなかった。自分の口で言ったらすぐに捕まって牢屋に入れられたり、死刑になってしまう。これが二番目の疑問だと言うんです。
 三番目は感覚的なものですが、街を歩いている人がみんな笑っていると言うんですね。それに比べて東側は喧嘩しているように怒っているようで笑顔をみせない。一体それはどういうことなんだと疑問があり、余りに差が大きいと私にも直接言ってきました。
 どうして東と西でこんなに違うんだろうと言うんです。その違いがはっきりしてくるわけで、西側のような生き方が国の体制にするにはどうすればいいのか、やはり、今の指導者が悪いんだ、体制が悪いんだということになってくるわけです。その結果、大衆が立ち上がっていわゆる民主化の波がそこに生まれてくることになります。
 ですから、情報は軍隊よりも大きな力を持ってきたわけです。そして、現在も持っていると言えるんではないでしょうか。それがいくつか重なって、最終的にはベルリンの壁が完全に壊されていきます。1989年、東西の境にあるブランデンブルク門の前で花火を打ち上げて、みんなで喜んで大みそかを迎えている風景も見られます。
 このようなことで、1988年に打ち上げられた放送衛星アストロが起爆剤になってヨーロッパの民主化につながりました。この衛星はスカイビジョン放送で娯楽とか報道、スポーツ、映画、その他、子供向けとか色々の放送を始めました。それが東側の人たちが見ることができるようになって、4月にはすぐに変化が起こってきます。ポーランドの円卓会議が開かれ、新しい体制ができました。ポーランドを変えようという話が出てきました。8月にはバルト三国がみんなで手をつないで自由の鎖、100万人が600キロを手をつないで鎖をつくりました。このように市民運動が起きました。
 それともう一つは東ドイツの市民がオーストリアに脱出し始めました。ハンガリー経由で外に逃げ出すことができたのです。
 10月になるとハンガリー共産党が社会党に党名を変更しました。社会民主党というような体制に変えました。いわゆる民主化の道へ歩き始めたということになります。
 また、1カ月後に、先程述べたベルリンの壁が崩壊します。 そしてブルガリアでも情報公開という市民運動がどんどん広がって、民主化の波が押し寄せていくことになります。
 民主革命はチェコスロバキアで起きました。そして12月、最終的にルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が人民裁判みたいなものを受けて処刑されました。私もその時ハンガリーにいましたが大変な騒ぎでした。そして次の年の90年、東西ドイツが統一されて、92年、かつての強大な力を誇ったソ連邦が崩壊してこれで一応終止符をうつわけです。そして、今日のような体制が生まれてくるという歴史を見ますと、1年ちょっとでこんなに大きく変わってしまうということです。

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