第16回講演(6/8ページ)

 

●英国では影の大臣にも手厚い助成
 いわゆる影の大臣も選ぶには保守党と労働党によって多少違います。しかし、少なくても現在では影の首相には表の大臣と同額の年4万ポンドの年俸が支給されています。あるいは野党の議員団長、副団長にも議員としての年俸以外にもそれ相当の年俸が支給されています。もっと言いますと、1975年以降のことですが野党だけに公費の助成が成されています。与党にはありません。与党と野党では情報の収集であるとか、さまざまな活動にハンディがあるという前提で公平にしようということなんです。そのために公費助成がありますが、これもかなり徹底していて、前の選挙で二議席以上とった政党、あるいは一つの議席でもいいが、ただし全国で15万票以上の得票があった政党は公費助成の対象になるのです。
 その計算方法も少し古いんですが1995年の例でみると、一政党に与えられるいわば税金からの公的助成は約3500ポンド×議席数、これに200票につき約7ポンド加算したものが合計額になる、こういう助成が成されます。
 こういう制度的な面も、ただ単に日本のように野党は置き去りにされるのではなくて、制度的な保障があります。勿論社会的な条件もあるわけです。このような違いを前提として戦後の政治を振り返ると、イギリスの戦後政治にはいくつかのターニングポイントがあると思います。
 一つは1945年7月の総選挙で、正確には太平洋戦争が終っていないので戦後とはいえませんが、チャーチルは10年間の政治休戦を破って選挙にうって出ました。このことを調べてみますと、私は論文にも書きましたが、この時に圧倒的に保守党が勝つという予測でした。ところが蓋を開けてみたら労働党が地滑り的な大勝利をおさめてアトリー政権ができます。このアトリー政権、労働党政権ができたことが戦後のイギリスの方向を先ず第一に決めました。
 すなわち、イギリス型福祉国家「ゆりかごから墓場まで」といわれるような手厚い社会保障政策をつくりあげていく礎石になりました。その時代が揺れながらも1979年まで続きました。勿論、79年の終りにはこの戦後の福祉国家政策、基本的に言いますと、経済政策はケインズ経済学に立脚するということです。
 それから、産業国有化政策、これは労働党が1918年に党綱領を定めた時の第4条という有名な綱領があります。これが元になって国有化によってイギリスの産業経済を立て直し、そこに戦争が終ったことで大量に発生した失業者を吸収し、そして有効需要を高めていこう。労働党は元々はケインズ経済学を導入していませんでしたが、戦後の1948年、昭和の大不況の時代にケインズ経済学を導入するようになりました。これが基本になりました。

 

●サッチャー革命が英国を大きく転換
 そして、次のターニングポイントはサッチャーの登場です。これは1979年5月の総選挙です。これによって、以降18年間サッチャーからメージャー政権が続きました。これはある意味で中曽根総理ではありませんが戦後の総決算、総決算ができたかどうかは別にして、根本的に戦後イギリスの福祉国家体制を組み替えていく政治を展開しました。これが世に言うサッチャー革命、サッチャーリズムと言われるものです。
 現在、日本でもゆれ動いているものです。1983年から完全自由化が始まりました。日本でもこれを導入してきたんですが、同じようにサッチャーもビッグバンをやりました。しかし、イギリスのビッグバンは主に証券業界のビッグバンでした。非常に複雑な証券取引所の規制がありましたが、これを取り払った。そして、これによって520社の世界の証券会社がロンドンに支店を持つようになりました。
 あるいは為替の自由化を行うなどをしました。あるいは民営化も行いました。大々的な国営企業産業、約80余社を次から次へと民営化していきました。その結果については若干留保しなければならない点があります。一つは、国有でも十分に収益性がある企業から民営化していきました。例えば、ブリティッシュテレコムがその最たるものです。従って現在でも国有企業は若干残っていますが、これは民営であろうが国営であろうが収益性のない不良企業ということになります。
 もう一つ、これによって現在ではインフレの元凶が民営化された、かつての国営企業、例えば英国鉄道が民営化されましたが非常に値段が上がっています。ガス・水道もそうです。これは一つのツケです。
 逆の意味ではホバークラフトがあります。この業界は国営を民営にすることによって独占化が進んでいるというような傾向がありますから、民営化をもろ手を挙げて賛成するというわけにはいきません。しかし、全体として民営化された企業は収益性が10倍にも20倍にも上ってきています。住宅の払い下げもあります。これら、一種のイデオロギーで言うとアトリー政権下で始まった福祉国家体制が社会民主主義だとしますと、サッチャーからメージャーにかけては明らかに政治的な新保守主義、あるいは新自由主義で、約30年間の市場原理が働かなくなってきた状態を、市場原理をもってイギリスの再生を図ろうというのがサッチャー革命であったと思います。「新保守主義の国家をつくろう」という、こういう違いがあります。

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