第16回講演(5/8ページ)

 

●政策中心で派閥を形成
 自民党は派閥連合とよく言われます。自民党の派閥は政策を中心としたものではなくて人脈とか血縁とかそういったものです。その機能はポストの配分とお金の配分だと言われます。同様にイギリスでも派閥はあります。保守党の中にもあります。しかしこれは政策を中心としています。例えばサッチャーの時代にウエットであるかドライであるかで派閥が形成されています。サッチャーはドライ派の頭目ですから戦後の福祉国家体制を清算しようとの立場にありましたからドライで非常に冷たい。しかし、依然として福祉国家体制を継続しようというのはウエットだとこうも言われていました。労働党の中にもあります。政策を中心にしている、そういう違いがあることは間違いありません。
 今後、期待されるのは日本の政党政治は政策中心にいかにしてなるか、脱皮していくか、そのためには相当時間がかかるにしても各政党が少なくてもイギリス並の政策立案能力を持つことだろうと考えています。ところがそれがない。今回の選挙でもそうです。自民党総裁選でも、政策をみても、勝手に2、3人のひとが集まってつくったような色あいがしてなりません。
 一つの例を示しますと昨年5月に総選挙の時に出した労働党の政策プログラムがあります。ニューレーバーとなっています。そして保守党のもあります。内容的には色々なものが含まれています。他にもたくさんのパンフレットが用意されています。それらをつくる能力があるかないかだろうと思います。
 それともう一つ、今回選挙がありましたので付け加えておきますと、野党のとらえ方、位置ですが、これが日英で違います。イギリスの場合、野党は単なるオポジッションではなくて、ローヤルオポジッションという言葉が使われます。つまり陛下の反対党という意味です。野党は議会制民主主義の枠内で政府・政権与党に対して、もう一つの選択肢を出せるという意味なんです。ですから、その体制を崩してしまおうというには野党ではありません。簡単に言いますと、革命政党はイギリス的な意味で使うと野党ではありません。陛下の反対党とは言いませんが、一つの枠の中の、議会制民主主義の枠内での健全な野党というものがいかに育成されるかと言うことが非常に大きな課題になってきていると思います。
 しかし、残念ながら1993年の自民党政権崩壊以降の政党の離合集散をみているとあまり期待はできません。ここにきて、今年5月にできたばかりの民主党に野党として期待をせざるを得ません。従って野党の民主党は明日にでも自民党に代わって政権を担当するような力量が問われてきます。イギリス的にいえばそういうことになります。ただそれを、菅代表もまだ日が浅いからだとか、あるいは羽田幹事長もできたばかりだとかそういう言い方をしていますが、軽井沢にこもって民主党の先生方が議論されたそうですが、何を議論し何がそこから生まれたかが大変興味あります。
 現在の自民党に代わるような経済政策なり政治政策なり、さらには外交政策的なものがキチッと組み立てられているだろうか、単なるウイッシュ・リストになっていたら、これはあまり期待できません。
 ポリシーとウイッシュ・リストの違いは、例えば私が今カレーを食べたい、これは願望として出てきます。例えば小さな政府にしたい、これは願望です。そのカレーを食べたい時に、ただ政策だけでなくてレシピが出てこないといけない。カレーにはビーフもありますし、野菜もあります。野菜カレーをつくるにはこれとこのスパイスを使う。そういうカレーをつくるところまでいかないと現在の政策争点になりません。単なる体制選択のような時代ではなくなってきています。
 例えば、資本主義がいいか、社会主義がいいかとか、かつての55年体制下に置かれたような、あるいは西側陣営がいいか東側陣営がいいかとか、あるいは大きな政府がいいか小さな政府がいいかとか、そういう選択はもう政策ではないんです。そうではなくて、現在の有権者が望んでいるのはおそらく程度の問題です。

 

●政策に具体化が必要な時
 例えば、昨年12月に環境会議がありました。これに対し現在の先進国主要政党でこのまま地球温暖化の環境悪化を承認するような、これに目をつぶって経済成長オーケーだとか言うような政党は一つもないと思います。環境を守ることについては先程のカレーを食べたいと一緒です。そうではなく、何年までに何%二酸化炭素を減らすかという数値目標まで挙げて、しかも、どういう方法によって減らすのかを具体化しないと政策ができません。あるいは争点になり得ません。こういう時代に入ってきています。こういう課題が、少なくとも民主党には自民党を乗り越えて対抗野党になるには必要だと思います。
 この野党が、制度的なことだけで言うと、制度的に野党が保障されている点です。日本にはありませんが、かつては社民党も新進党もシャドーキャビネットをつくりました。しかし制度的な面からみるとイギリスでいうシャドーキャビネットではありません。影の内閣はいつできたかは正確ではありませんが、少なくとも19世紀の終りになって、かつての自由党政権ができました。保守党政権が野に下ったわけですが、この時に保守党の全大臣たちが集まって会合を開いて次の政権を狙う、これがシャードーキャビネットの由来だと言われています。

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