第14回講演(3/4ページ)

 

●過酷な地にあっては国を守ったロスタムが英雄
 息子ソホラーブは「お父さん、私の母と私の首と、私の国民を宜しくお願いします」と一言いって、息を引き取りペルシャの勝ちとなったのであります。
 このロスタムは古代ペルシャから現在のイランにズーッと受け継がれ、今もスーパースターであり英雄であります。そしてイランの若いお母さんは小さい子供たちに今の話を聞かせ「大きくなったらロスタムのように立派な男に、立派な騎士になるんですよ」と言ってこの話を聞かせます。けれどもこの母親はこの話を聞かせる時、決まって両目に涙を浮かべてこの話を聞かせます。
 我々日本人からすれば、この父親ロスタムが英雄であるのはおかしい、むしろ英雄は息子ソホラーブではないか。我々の感性からすればそうなります。けれども、あの砂漠地帯の中で、厳しい風土の中で生れ育ち、そして他国からの侵略から勝ち続けなければならない宿命を背負う国家にあっては、また、そのような文化を持つ国にあっては、また、自分たちが崇拝、信仰するゾロアスター教という宗教からすれば決して息子ソホラーブは英雄ではありません。英雄は父親ロスタムであるわけです。
 このように嘘を言って命を保った。子供が親孝行を願って和睦を結ぼうとしたにも関らず拒否をした。何よりも相手の息子をしとめたのは、明らかに我々の物差しからすれば卑怯者です。けれど、この卑怯者と思われるロスタムこそ実は英雄であるわけです。
 ゾロアスター教の二源論と、そして終末論である、いかなる手段を駆使してでも悪を善に導かなくてはならない、この考えを自分たちの心とするならば、やはり勝った者は英雄であります。そしてその勝ち方を我々日本人は問いますが、厳しい砂漠の風土の中にあっては結果だけが全てであります。
 とは言え、この母からすれば自分のお腹を痛めた子供が父親にしとめられることは辛い話であり、大きな悲しみをおぼえることも事実です。それでもこの厳しい地形・環境の中にあっては、どんなことがあっても生き延びなければならない。生き延びるためには勝たなければならない。勝つためには手段を選ぶ余裕はないんだということを子供たちに教えるわけであります。 このようにしてペルシャという国は、今日までズーッと騎士道精神を子供たちに植え付けてまいりました。そして今も、男はパフレバーンでなければならない、騎士でなければならない。ペルシャ騎士道というものを身に付けなければならない。
 そこで、ズルハネと呼ばれる場所で、その力の家で多くの男性が毎日毎日美しい汗を流して身体を鍛えているのであります。
 この伝統は武士道という心、これを持つ日本人にしても、比較にならぬほど凄いものがあることを忘れるわけにはまいりません。そして十世紀以降、イスラム軍がペルシャを攻めてまいりました。このイスラム軍は大変な力を持っていました。ペルシャ軍は殆ど戦わずにイスラム軍に負けたのです。負けたというよりもイスラム軍の人たちの考えは「俺たちの考え方と同じではないのか。だから、何も戦わなくたっていいんだ」このようになりました。イランの人々の崇拝している宗教はイスラム教シーア派といいます。
 この考え方は二源論、終末論をゾロアスター教からもってきて、そのまま置き換えた教義とほぼ同一であります。イスラム教の主流はスンニ派といいますが、イランの宗教だけが、イスラム教だけがやや異なる。このようになっておりますのは、このシーア派の原点にゾロアスター教の思想が深く宿っているからです。そして同じイスラム教徒でありながら、スンニ派とシーア派は対立し、そして戦うことが今もイスラム教国のどこかで行われているのは大変残念に思います。
 イランではペルシャ時代からズーッと我々武士道を上回るような騎士道、この考え方を子供たちに教育してきた。このことを知っておいていただきたいと思います。
 ちなみにイスラム教には聖戦という戦いがあります。これをジハードとよんでおります。イスラム教の指導者が「この戦いは国家のための戦いだ、国民のための戦いだ、我々民族のための戦いだ、部族のための戦いだ」ということになれば己たちの信仰が侵されているんだ。こうなると宗教指導者はジハードを宣言します。
 ジハードということになりますと、年寄り、女性、子供、病人、旅行者を除いた男性は武器をとり、徹底的に戦います。そしてその戦いに敗れた者を、命を落とした者をシャヒードといいます。殉教者です。本当の神の近くで眠ることができるという英雄であります。

 

●日本の文化と異なるイスラム文化の教義
 イスラム教徒は長寿が幸福である、健康で長生きする、これが幸福であるという考え方は持っておりません。彼らの幸せは、若かろうが年をとっていようがシャヒードとなって神のそばで眠ることこそが一番の幸せであります。
 砂漠の地で大きく根を張るイスラム教の価値観は私たち近代文明の中で近代教育を受けてきた社会を、民主的な国家をつくった私たちの価値観とは甚だ異なることを忘れることはできません。
 和述哲郎は「風土」という書物を著しました。この書物を読みますと私たち人間が住んでいるこの地球を大きく三つに別けることができる。このように言っております。一つはモンスーン地帯、一つは牧場地帯、もう一つは砂漠地帯です。
 私たちはモンスーン地帯で国をつくり住んできました。木の文化を持ちました。手の文化を持ちました。器用さを持ち、そしてそれが我々の営みの原点を示していると言ってもいいと思います。他の牧場地帯は古代ギリシャ・ローマの文明を生んだ。そしてヨーロッパ・アメリカに大きな影響を与えてきた。そういう地域であると考えていいわけですが、彼らは石の文化を持ちました。
 ギリシャを旅すると驚くことに遺跡がそのまま残っている。それは石でできているからです。なぜこのようなおおきな石を技術も機械もないのに山から石を運び、組み立てることができたのであろうか。それはギリシャ社会が大変な奴隷社会であったからです。概ね人口の七割が奴隷であり、25%が市民であり、残りが外国人であった。このように言われています。そしてギリシャ文化はそのまま古代ローマへとつながります。やはりローマも石の文化を継承しました。
 石の文化は、ここでは武士道のような考え方を生むことは最初はありませんでした。奴隷が自分たちの代りに戦う。その典型的なお話をひとつさせていただきます。
 イタリアに着くとレオナルド・ダビンチ空港からローマの市内に向かいますと凱旋門をくぐってすぐ右手に大きなコロッセウスというドームのような円形の闘技場がとびこんでまいります。紀元80年に建てられたものですから概ね1900年前の建物です。この建物は立ち見席を入れて五万人を収容することができた。このように言われていますから、大変な威容を誇る建造物です。
 ここで行われたのは剣闘士の殺し合いでした。有力者や権力者、政治家が強い奴隷を持っている。剣術の優れた奴隷を持っている。「俺のところの奴隷は強い。ではやらしてみようではないか」その闘いが街中にふれられ、そして大観衆を集めて人と人との殺し合いがそのコロッセウスで行われました。死力を尽くして文字通り闘ったわけです。相手が疲れてきた。とどめをさそうとした時、その奴隷たる剣闘士はどうしたらいいかを観衆に訊ねる。観衆は手を握り親指を立てたならばもう殺すのはやめろ、相手もよく闘ったじゃないか、ということで剣を収め二人は自由な身になり市民になることができたのです。
 ところが、とどめをさそうとした時、市民の反応が親指を下げる、ノーグッドです。それは相手にとどめをさす。こういうやり方で行っていました。
 「グッド」「ノーグッド」このサインは古代ローマで生まれたものが、今日でも私たちに伝えられているのです。
 このように人と人との殺し合いこそが、奴隷と奴隷の殺し合いこそがローマの人々の一番の楽しみでありました。この様をみた2世紀の風刺詩人ユレナンスは一言「パンとサーカス」このように申しました。パンは食べ物を意味します。サーカスとは見せ物です。つまり人間は食べる物に不自由しなくなると残虐なもの、残酷なもの、かわったものを見たくなる。このようにユレナンスは言ったのです。

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