第40回
2006.9.22 ホテル横浜ガーデン

元東海大学教授
元ハワイ東海インターナショナルカレッジ学長
田中 信義 先生


NHK報道局外信部記者を経て東海大学に奉職した異色の教授。東南アジア、中東特派員としてイランイラク戦争、イスラエル・レバノン紛争などを取材。冷え込んだ対中国、対韓国関係、小泉アジア外交を斬る。

第40回講演(1/4ページ)

 

「小泉総理に欠けていた歴史認識」
 靖国で冷え込んだアジア外交、総理の5年間を探る

 こんばんは。
 実はよわっているんですよ。香取先生から「お前やれ」といわれて、しかも最初のテーマが「小泉首相の欠けた歴史認識」。これを私にしゃべらすなんてとんでもない。どうしようかなと思いました。といいますのも、今ご紹介に預かりました私はNHKで30数年間、外信部記者として、あるいは東南アジアの特派員として海外を見てきた人間であって、政治部出身ではないものですから、「難題だなぁ」と...。
 しかし、折角頂いたテーマですので、小泉さんの5年間が、外から見た小泉さん、あるいは各海外からの特派員が小泉さんをどう見ているかということなら私も少しお話ができるのではないか。そして、いま冷えきった日中関係、あるいは日韓関係を、まだ少しお話できるのではないかと思って、そこに用意させていただいたわけなんですが。
 実は今日、ここへ来るときに、もうご存知のように安倍さんが総裁になりましたけれども。車の中でテレビの音声だけ流れていたのでしょうけれども。今、お菓子やさんが「純ちゃん饅頭」が売れたんですよね、かつて。それのラベルを剥がして、一生懸命「晋ちゃん饅頭」に張替えをやっていると...。「世の中すさまじい動きだな」と思って、車の中で聞いていたのですけれども。
 したがって、今世間の関心は、安倍さんのほうに移っていて、小泉さんの話はもう過ぎ去った話かもしれません。
しかし、この5年間をどう評価するかというのは、これはやはり大切だろうと思います。あるいは、あの小泉劇場に我々は踊らされた5年間であったのではないかという説もあり、私は少なくともそう思っているのですけれども。やはり、小泉さんは非常にすごい人だったということには異論はないけれども、しかし、小泉さんが何を日本に与えてくれたのかということになると、色々な分析が必要だろうかと思います。
 ちょっと、失礼します。

−ここでスライドを準備、開始−

 その前にもう一つお断りしておきたいのですが、先ほどのご紹介にもありましたように私NHKの記者を30数年間やっております。そして、その間に主にベトナム戦争、そしてイラク、イラン戦争、あるいは中東紛争、中印紛争、あるいは東チモールの内戦等々。考えてみると戦争取材ばかりやっていたんです。戦争の話をしろといわれれば、明日の朝までできるのですけれども。今夜はそうはいきません。
 東海大学のハワイから帰ってきて、東海大学を終わるときに、図々しくも最終講義というのをやらせていただきました。東海大学でお世話になった17年間についてお話したのですけれども。
 そのときのテーマは「恥をかいた、汗をかいた、失敗した」という私の人生そのものについてお話をしました。
「もうそれでいいのかなぁ」と思っていたら今回また恥じをかくはめになった、失敗するはめになって、今日香取先生がみえるというので、これまた汗をかかなくてはいけないなと思ってここへ来ているわけですが。
 そういう意味では失敗もあるでしょうから、ご容赦願いたいと思います。

 

 

−スライド2[小泉政権のキーワード]−

 さて、小泉さん、小泉政権のキーワードをいくつか挙げてみました。皆さん方も納得されるか、あるいはこれ以上に何かあるとおっしゃると思いますが。小泉さんというのはまず「非情である」ということで、情け容赦なかった。
それから何といっても郵政民営化のために力を入れた。そして、参議院で通らなかったら、いきなり解散をして衆議院選挙に走った。そして、刺客を放った。そして、抵抗勢力を作った。あるいは憲法改正を叫んだ。
 そして、マスコミをうまく使った。ぶら下がりというんですけれども、毎日午前と午後に記者団の前で一言、二言しゃべって記者団を愚弄した。そして、いっていることがシンプルである。あるいはいっていることに矛盾があるから魅力的だと。そして、問題は靖国参拝であった。この靖国参拝がネックになって今の日中関係、あるいは日韓関係が冷え切ってきた。いきなり、ある日突然日朝首脳会談というか、訪朝して拉致問題と取り組んだ。まぁ、「功罪、相半ばする」でしょうけれども。
 そういうことで、キーワードだけみていっても小泉さんの5年間というものがどういうものであったかということが創造できるのではないか思います。

−スライド3[内閣支持率]−

 ここで、小泉さんが発足時、内閣支持率が78%。これは田中角栄、吉田茂と比較してもダントツであった。そして辞めるときは、これは最近の、また先日の調査では54%くらいになっていましたけれども。78%から45%。
田中角栄は12%、吉田さんは28%。これは朝日新聞に出ていたのですけれども。
 そういうことで、歴代内閣の支持率からみても小泉さんはダントツであったといえると思います。

−スライド4〜6[外から見た小泉の5年間]−

 ここからちょっと外から見た小泉さんの5年間はというと。
 このサム・ジェームソンさんという方は、元ロサンゼルスタイムスの東京支局長です。私が彼に会ったのは1970年にラオスに取材に行ったときに彼もラオスにいて取材をしていたころです。長年日本に住んでいて日本の政治を見てきた人です。彼の小泉評は、「小泉さんは変な人だ」と、「変わっている人だ」と。ちょっと英語は違うのですが。「strange person」「different kind of person」。つまり、人種が違うということです。
 これが面白いのは、「小泉さんが総理になったのは田中真紀子さんのおかげだ」と、「真紀子さんひとりのおかげで総理になったんだ」というふうにいっています。これは申し遅れましたが、サム・ジェームソンさんが日本記者クラブで講演をしたときの講演内容をメモしたものを載せています。
 「真紀子さんひとりのおかげで総理になれた」ということです。「私は変人の母です」あのころ思い出しまうよね。選挙運動で真紀子さんが小泉さんの横に立ってそして応援して、正に自分の息子のような感じで応援していた。そのころの世論調査では85%の支持を得た。あるいは、90%に上ったこともあった。こういうことなのですけれども。
 ところが、例の外務省のイザコザで真紀子さんが更迭される。とたんに小泉さんの支持率は半減してしまったというのを彼、ジェームソンさんは注目しているというか、強調していました。ただ、小泉さんはご存知のようにブッシュと非常に仲が良かった。
 「日米関係は非常にうまくいっていたつもりであったろうと思う」というふうに彼はその辺は評価しています。ブッシュさんと仲良くなった最大の理由は、例の9.11事件直後に小泉さんはブッシュ支持というか、あなたをサポートしますといったことが「大いにブッシュさんを喜ばせたのだ」といっているわけです。
 そして、その後、この辺は異論があると思うのですけれども小泉さんは自衛隊のイラク派兵に踏み切った。これもまたブッシュにとっては非常にサポートになった、精神的にも政治的にも非常にサポートになったということです。とくにあのころはフランス、ドイツ、こういった国々が非常に冷ややかというか、イラク戦争開始に批判的であった。その中で小泉さんだけが「私はあなたを支持しますよ」と名乗りを上げたのが非常にうれしかったのではないかというふうに分析しています。
 もうひとつは、小泉さんの特徴として、先ほどもいいました「シンプル」、話す言葉が非常にわかりやすくて説得力があった。「歴代の首相の中でも最高だ」と、高得点を与えている。首相として自分の言葉で発言できるというのは、非常に大きな利点であろうと。こういうような、かなり小泉さんに好意的にみている部分もあります。
 憲法改正については、「やるべし、やるべし」といったけれども、それほど本人は意欲がなかったのではないか、しかし、改正への道筋はつけたのだろうといっております。まさに今回安倍さんのそれを(憲法改正を)、バトンタッチされた安倍さんの憲法改正意欲というものが非常に強いということからも伺えます。小泉さんはむしろ責任逃れで先送りしたという感じはするわけです。
 改正の道筋をつけたということは、自衛隊のイラク派遣を強行したということが最たるもので、それでまず先鞭を作って改正のとおり付けをしたといえると思います。
 それより、なにより、冒頭にいいましたように小泉劇場だった。小泉さんの5年間は、我々は劇場で小泉さんの芝居を観ていた感じがするのですけれども、彼もまたそのような表現で、やはりアメリカへ行ってプレスリーのまねをしたというのは少しやりすぎだと思ったけれども、そういうことを小泉さんはものともしないで、恥も外聞もなくそういうことを演じるという性格は面白いといっています。
 それから、先ほどいいましたように、なんだかんだととにかくゴリ押しで郵政民営化をはじめたけれども、これはリーダーシップを発揮した。
 しかし、一方で道路公団の問題では積極的ではなかった。むしろ投げやりであって、道路公団はなんとなく具体的に道が見えてこないということを彼は指摘しています。
 日米間に日米安保条約があるからこそ、日中関係はいいものにならなければいけないと結論付けています。これがジェームソンさんの話ですが、もうひとりファイナンシャルタイムズの東京支局長にデイビット・ビリングさんという方がいます。

−スライド7〜13[小泉は何をしたか]−

 これも日本記者クラブの講演で、いったい小泉さんは何だったのか、何を改革したのかとこの人はかなりシビアに見ていますが。
 とにもかくにも小泉さんの登場は、今までに日本に見られなかった人物が現れたんだと海外では評価、見ていました。しゃべり方も変わっていた、短いフレーズでわかり易い、女性の人気が高い、ポップスターのようだったといっています。この辺はさきほどと似たようなことで、一般によくいわれていることですが。
 当時の日本は官邸の主、つまり首相が次から次へと代わっていって、外国人にとってはこの名前を、首相の名前が一人もいえないような状況で、それほど目まぐるしい状況で総理が代わっていったということです。したがって、外国人である我々は「小泉こそが改革を断行する政治家だ」という期待をもってみていた。ところが、小泉さんがやったのは政治改革であって、経済改革はほとんどしなかった。経済回復には貢献はしなかった。
 しかし、大きなミスはなかったといっています。ただ、経済回復は時間の問題であって、つまり時間の動きとともに、企業がどんどん減量経営をはじめ、合併を行い、時間の経緯とともに経済回復がされていった。地球的な環境もそれに幸いした。日本の景気回復の功績は小泉さんになくて、むしろ橋本さんにあったのではないかという見方をしています。
 最後に小泉さんは経済改革について、やったというよりも何もしなかったのが功績だろう。「やるぞ、やるぞ」とかけ声だけでやらなかったことに功績があるのだと考えています。これは、かなり厳しい小泉評を行っています。
 さらに彼は、先ほどのように、小泉改革は政治改革であって経済改革ではなかったとし、派閥の力学を壊した。
つまり、最初に「自民党をぶち壊す」と派閥の力学を壊し、そして官邸の権限、内閣の権限を増したという話をしています。小泉は都市型リーダーであって、歴代の首相は今まで、ほとんどが地方出身だったのに、小泉さんは横須賀出身だということで、今までの首相と少し違ったということです。
 郵政民営化云々はよく言われていることです。
 そして、小泉さんは日本を普通の国にするという考え方を推進したということを言っていますが、この辺は褒めたのでしょう。しかし、自衛隊をイラクに派遣し、憲法改正論を活発化し、アメリカとともに共同ミサイル防衛を行うように日本が協定に調印したということは日本にとって、はたして正しい方向に進んでいるのだろうかと疑問視しています。
 そして何よりも靖国神社参拝はベストな方法か、方策かと批判しています。彼はまた、アジア外交では後継者は小泉路線を踏襲してはいけないとし、むしろ今冷えきったアジア外交を修復しなくてはいけないといっています。
 彼は、小泉さんは格差社会を作ったとし、村上・堀江事件など変な資本主義を賞揚したとしており、この5年間に小泉さんがやった政治の世界改革というのは、すぐに後戻りする危険性があるとしています。小泉さんはショーマンで、外人の目からみると非常に風変わりな人で、しかし「うわべだけの人で中身はなかった」いうような言い方をして、手厳しく論評しております。傑作なのは厚化粧をした歌舞伎役者のように、目をぎょろぎょろ回しながら大げさなポーズをとるというのが小泉さんだとしています。役者としての小泉に総選挙で国民は魅了されてしまったとし、演技のうまさは格別だったといってます。

第40回講演(2ページへつづく)