第26回講演2(3/3ページ)

 

 テロは勿論よくないが、バカな人がテロを行っているわけではない。社会の問題を抱えて、サウジでは奥さんが4人、何十人といる妾を捨てて、アフガニスタンの山奥に入って戦っている。オマル師やナンバー2といわれるザワヒリ氏、テロを企画したとされるアイマンダヒはエジプトのテロリストで、そのままいけば小児科医としてエジプトの医学界を代表するような人だ。また在パキスタンのスポークスマン、ザイーフ氏もクウエートの法律学者だ。社会の最も優れている人たちが全てを捨てて戦っている。我々はその叫び声は受けとめてやらなければいけないと思う。

 ビンラディンが同時多発テロをやったという証拠がないと言う。しかし、私たちの考えでは「証拠がないことが証拠だ」と逆説的にとる。ビンラディンは私たち(危機管理、社会学者)の社会ではよく知られていている人物で、証拠に結びつくものが実行犯の中からは見つかっていない。これは意図的に消したということになる。

 同時多発テロで20人近くの実行犯が、結果的に自爆している。自爆はすごく難しいらしい。例えば、いたいけな少女が花束を要人に渡す。これは女装した男性が殆どだ。爆弾と女性の組み合わせはかなり困難だ。かつて大韓航空機事件では爆破に金賢姫がかかわったとされているが、私は疑問に思っている。女性が爆破した例は本当に特殊だ。女性のみでなく男性でも難しい。人間は誰々のためになどと、実行する瞬間までは行くが、最後の時に自分を粉々にするボタンはなかなか押せないものだ。 よくある自爆テロは後方からのラジコンで実行することが多い。ラジコンの電波は妨害しやすい。危険だと思われる施設は電波を妨害している。このために最近ではテレビなどで使われるリモコンを使ったり、自動車の速度違反で使われるスピードガンの原理を利用したウエーブを送って爆破させるものもある。このように、分かっていて死ぬのは大変なことだ。

 米国テロの実行犯は分別もあって、操縦免許も所有し、そのまま米国に溶け込んだら中の上くらいの生活が何不自由なくできる。このような人たちが、どうして自分たちの生活を捨ててまで実行に及ぶか。これには強烈な宗教的エネルギーが吹き込まれないとできない。

 戦後のアフガニスタンの暫定政府で統治には北部同盟や、ローマに居るザーヘル・シャー元国王を就かせるなどの案が出始めている。シャー元国王はパシュトウーン人ではあるがしかし、パシュトウーン語が話せない。昔の宮廷は土着語はしゃべらせない。ペルシャ宮殿ではペルシャ語しかしゃべらない。これでは命がけで戦ってきた人たちは納得できない。北部同盟指導者のラバニも大虐殺者だ。これを考えると適格者は誰もいないことになる。今後、40年くらいは混乱が続いていくのではと感じている。

 アフガニスタンには1千万個の地雷がある。地雷は一個一個埋めていくのではなく、今では一挙に空中散布するから広い範囲に拡散する。非常に悲惨なところとなっている。ここに自衛隊が入って地雷除去に貢献する。地雷撤去どころではないのが現実だ。
 兵隊が突入路を開くための僅かに20センチの幅をつくるのも大変だ。極端に言えば、爆弾三銃士を編成し、誰かが先頭に立って走っていって地雷を爆破させて処理していかなければならないような状態だ。ここを子どもたちが走り回る。女性が水を汲みに行くなど、何キロも一つ一つチェックしていく。自分の命を捨ててやるくらいの、人道的な人でしか地雷撤去はできない。

 かといって、自衛隊を参加させることに否定的ではない。何らかの形で軍事的貢献も、また同盟国として米国との連携も維持していく必要があると思う。それでも間違った方向にいかないためにも、国会の事前承認は必要だ。それがシビリアン・コントロールの立場から、最後の歯止めとなる。

 「紛争が終ったら平和的貢献をする」と言っているが平和をつくることこそ難しいことはない。この点に関して、日本はノウハウも技術も経験もない。言葉一つでも、パシュトウーン語、ダリ語など、難解な言葉が必要になる。私はダリ語の辞書をそれこそ日本中探した。「ダリ語基礎1500」、薄っぺらな辞書を見つけた。一冊3千2百円もする。誰も必要としないから高い。それくらい難しいことだ。

 難民がどんどん出てくる。我々は、難民を世界の痛みとして受けとめなければいけない。世界中で約3千万人もの難民がいると言われている。先進国でこれを少しずつ受入れていこうとしている。米国は元々難民で異民族国家である。ここ10年で8万2千人の難民を受け入れている。フランスでも7万3千人、日本と同じような境遇のドイツは15万6千人を受入れている。これに比べて日本の受け入れ難民の数は10年で僅か49人しかいない。ドイツの1千分の1にも満たない。
 先日もアフガンから日本に助けを求めて逃げてきた難民がいた。「難民です。タリバンに殺されそうになった」と申告したら、日本政府はアルカイダじゃないかと逮捕した。十条の入管に収容されている。理解できないと思うが、動物園状態で物凄く悲惨な状態だ。

 口先だけの貢献ではなく、この点から変えていかないとだめだ。みんなでできることを少しずつやっていくことが大切だ。政治は永田町だけでやっているものではない。問題の在るところに事務所を構えることが必要だ。私が中心になってイスラマバードに事務所をつくった。私の党の衆参議員が毎週交代で出向いて活動している。そうすると、数多くの生の情報が入ってくる。

 私の党では各議員にお願いして募金活動をしてもらったら1千万円が集まった。少しずつでもできることからやることに価値がある。例えば望星倶楽部の会員の会社でもアフガン難民を受入れる。是非このようなことも企画して欲しいと思う。また、大学も一人でも難民を受入れてもらえるようにお願いする。まず、身の丈に合った支援をしていく、これが本当の貢献につながっていくのではないかと感じている。

 

この内容は2001年12月3日シャトレー・イン横浜で行われた講演を記録したものです。講演者の話の趣旨はなるべく忠実に伝えるように心掛けていますが、文章化するにあたり、その性質上多少異なる場合もあります。尚、記事の掲載に誤りのある場合は講演内容を優先するものとし、お詫び申し上げます。

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