第26回
2001.12.3 シャトレー・イン横浜

東海大学副理事長 香取 草之助 先生


 

大学の現状と未来 ’01

 

 今日は、本来なら松前総長が話をする予定になっていたが、2年に一度、環太平洋の学長会議を行っており、その打ち合わせで 急きょ極東大学の学長が来日することになった。このために楽しみにしていたこの会に参加できず非常に残念である。宜しく伝えてくれとのことだ。

 大学は今、変わらざるをえない。まず、学生が変わる。4年でどのような教育を受けて社会に出していくか。これが大問題となっている。文学部の或る学科ではシェークスピアを知らない学生がいる。また、ナポレオンの話をしていたら学生の様子がへんだ。学生はブランデーの話をしていると思ったと言う。嘘のような話がいっぱいある。

 一つは今の高校の勉強の仕方に問題がある。学生は活字を読まなくなっている。一般的な常識に欠けることがある。高校のカリキュラムの選択制が強くなった。理科で言えば生物、物理、科学、地学の四科目ある。昔は最低三科目は勉強した。理科1は一年生の時に全部やった。だから中学よりは少しはレベルの高い常識的な知識を植え付けることができた。この理科1が高校のカリキュラムからなくなってしまった。中学の2年生くらいから理科離れが始まる。
 今、高校で物理を選択する生徒の数は17%しかいない。大学の工学部に入って物理を勉強しなかったのは割合に多い。大学はそのために補習をやらなければならない。東海大学で補習なんていうと恥ずかしいと思うが、実は東大でもやっている。物理の補習を始めたのは東大が一番早い。

 学生は勉強したことはよく知っている。ところが科学の勉強をしないと、科学の知識は中学で止まってしまう。中学の知識で大学に入ったことになる。もちろん忘れていることがあるから、中学生以下である。知識がマダラである。社会においてもそうだ。だからナポレオンのような話がでてくる。

 米国でも、高校まで必須科目を勉強してくる制度と選択制を強める制度とが振り子のように行ったり来りしている。日本でも同じようなことだが、今は選択制に振り子がふれている。米国は、日本のセンターテストにあたる全国一斉テストがある。米国は業者がやっていて信頼度が高い。国語(米国だから英語)と数学の成績で大学を受験する。これがどんどん下がってきてしまった。連邦政府はかなり忠実に中等教育に力をいれた。それでも元に戻るのに10年かかったと言われている。

 日本では高校の進学率が96%ぐらい。これは殆ど全員と言える。中学で勉強した生徒も、勉強しない生徒も高校ぐらいは入れと言うことになる。しかし、その差が非常に大きくて全国一律な勉強がしにくくなった。そのために選択制として科目の数を増やして、バラエティーに富んだ形で生徒の学力に合ったものということで始まったのだと思う。
 ところが教育は強制から始まると言われるくらい、いやなことでも若いうちに何でもやらせなくてはならない。これをしておかないと駄目だ。必須はやるが、その他は見向きもしなくなってしまう。

 次に大学が悪い。大学は受験科目を減らした。減らせば受験生が増える。この悪循環が始まっている。だから特定の科目だけ勉強すれば大学に入れる。こんなことになってしまった。一時期、東海大学もいくつかの学部で受験科目を2科目に減らしたことがある。すぐに3科目に戻したが、戻すと受験者が減る。逆に2科目に減らすと2年間くらいは受験者が増える。情けないことと思うが、マダラ状な知識を持ってしまって、結果、知識が欠落してしまった。大学が学問の最終段階であるならば、学力低下のしわ寄せは大学が責任をもって埋めていかなくてはならない。

 大学4年間でこのしわ寄せを埋めていかなければならないが、非常に難しい。東海大学では組織的にこれを是正するような教育を展開していかなくてはならないと考えている。若者にとって将来大きな問題になる。

 地球の裏側で起こった我々に関係ないことが次の日から我々に影響してくる。これはグローバリズムの悪い点なのかも知れないが、9月11日のテロで大学の先生にも海外に行くのは自粛するように通達を出したくらいだ。このように日々の変化は著しい。このような状態の中に大学も置かれている。変化にどのように対応していくかが問われている。

 秋山仁教授が10月の半ばにマニラで行なわれた数学の国際会議の世話役をした。その時、ゲストスピーカーに頼んだ学者が全部キャンセルとなった。頭を抱えてしまったが、その間際になったら米国の学者は「行きます」という返事がドンドンきた。これで予定通り数学の学会を開くことができたが、調べてみたら欠席の一番多かったのは日本だった。日本人は事件に敏感に反応する。何が起こるか分からない中で、判断して生きていかなければならない。変化も多い。そういう中で大学の教育をいていかなければならない。

 今、「一般教養」という言い方は古くさくなってしまった。学生にバカにされる。しかし、これに代わるいい言葉が見つからない。あえて「教養」という言葉を使わせてもらっているが、何が起こるか分からない時代の判断能力など、かなり広い範囲で物事を考えたりできる勉強が必要だ。大学は専門の勉強だけをするところだという固定観念を持たずに、変幻極まりない世の中に、変幻自在に生きていくための知恵を学ぶところでもあるということも認識していかなければならない。

 大学はいろいろと困難な状態にある。これを切り抜けていかなければならない。一例を挙げると、「海洋学部」を替えたいと思っている。東海大学の「海洋学部」は生物を含めて、海洋に関する理工系学部で全国で一つしかない学部である。また、今は小さくなってしまったが「造船」は普通の考えなら工学部に所属する。これも替えていこうと思う。これらは本来「海洋理工学部」という位置づけであったわけだ。これを松前重義先生が言っておられたように、もっと海洋を文明論的にみられる人文系も社会系も入れた総合的な学部にしようという計画を進めているところだ。しかし、文部省は頭が固くて困っている。
 
 日本が戦争に負けた時、米国は文部省を潰すつもりでいた。しかし、これが息を吹き返したら箸の上げ下ろしまで注意するような、極めて細かいところまで規制を掛けるようになった。これで大変苦労している。海洋学部の創設の時も大変だった。一つの学部で工学士、水産学士を取得する。こんな大学はないと言われた。学部体系が一つなら学士も一つであると、このような論法である。これを思うと昭和37年頃に、よく海洋学部が設立できたと思う。しかし、今またこのような考えでの計画を立てている。他の学部も時代の変化を先取りしながら手を加えつつある。みなさんの出身学科が消滅することがあるかも知れない。その点を承知しておいて戴きたい。これも時代の流れだ。

この内容は2001年12月3日シャトレー・イン横浜で行われた講演を記録したものです。講演者の話はなるべく忠実に再現していますが、文章化するにあたり、その性質上多少 異なる場合もあります。尚、記事の掲載に誤りのある場合は講演内容を優先するものとし、お詫び申し上げます。



熱心に聴き入る皆さん

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