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小泉構造改革の「痛み」とは?
私は東海大学に奉職してから25年になる。この間、平成7年から3年間、就職部長をさせて戴いた。今もそうだが、大変就職難の時期であった。 「序論」とは書かれていないが、この部分で言われているのが不良債権問題だ。これを改革の第一歩として手掛けていくことが示されている。最初にだらだらと書かれていたのを、直させたのがこの部分ではないだろうか。 具体的には7つの改革プログラムが書かれ、いろいろな方法、手段が示されている。政策プロセスの改革、財政の改革などが一通り書かれている。これが序論部分だ。それに続く本論部分が構造改革そのもののあり方が書かれている。 構造改革はなぜ必要なのか。これは日本的な経済システムが行き詰まってきたことが第一に言える。戦後、日本型市場経済システムがその時々では非常にうまく機能した。「何はともあれ経済成長」が国民のコンセンサスとして認められていた。あらゆるものに優先して豊かになる。そのためにあらゆる手段が執られていった。そのために独占禁止政策は後ろに追いやられた。 二番目には官僚の問題がある。官僚主導型の政策が長い間執られてきた。企画、立案、執行と、官僚が行政の重要なポイントを掴んでいった。これが経済成長一本やりの時はよかったし、非常に効率的であった。東大卒業の若い優秀な人が日本経済を動かした。 三番目は既得権益の問題だ。日本型経済システムは豊かになるためと、そうなるためのプログラムを官僚が用意したことになり、自民党政権が長く続く間に利害関係が安定化していった。この結果、既得権益ができ上がっていった。今日の郵政の問題もそうである。 経済成長、官僚システム、既得権益はどうしても日本経済の中心に居座って経済全体がうまくいかない状態に陥ってしまった。これを表現すると「行き詰まり」ということになる。学者の理論の上で、このような経済成長のシステムの中で政策運営することは大変に便利であった。それはケインズ型の経済政策が執られた。これは経済を放っておくわけにはいかないという考え方である。何でも政府がでて、景気の調整をしてみたり構造改革にも手をつけたりの介入主義だ。金融問題もそうだ。面倒をみることが正しい。そうしなければ恐慌になってしまうという考え方だ。であるから、理論的にも許され認められていた。さらにこのような時期が続くと政府が必要でないところにカネを費やすようになり、その分民間が圧迫されることになる。民間部門の圧迫は活力を削ぐことになる。こうなると経済活力は失われて、1980年代中頃には「民活」の話がでてきて規制緩和の問題がでてくる。これがピークに達したのが日米構造協議の時だ。 経済の活力は戦後日本の経済成長が大成功に終った反面、1980年代からはこのようなシステムはよくないとハッキリ分かってきた。特に日米構造協議ではこのことを強く指摘された。これを背景に、景気対策ではどうしようもないことになってくる。通常、経済政策は財政金融政策で、特に財政支出によって景気に刺激を与える。金融政策はマネーサプライのコントロールによって通貨の安定を図る。金利は公定歩合の調整によって経済をコントロールする。こういうことだ。基本的には量的な政策といえる。 第25回講演(2ページへつづく) |