第22回講演(5/5ページ)

 

 政策研究大学院大学の飯尾さんという政治学者が今度の選挙について他とは違った分析をしています。日本の有権者を二つの理念系に分けて、行政依存型の人々と経済自律型の人々とに類型分けしています。
 行政依存型は行政が特別なサービスを得る目的で政治のネットワークに入って政治活動を展開している人々で、例えば地方の土建業とか国会議員の後援会に入っているような人々が典型的な姿でしょう。 
 経済自律型の人々は政治のネットワークに入らなくても自分の力で稼ぐことができ、この人々はむしろ行政依存型の人々に向けられる政策によって不利を被っていると意識する人々で、都市の住民でサラリーマン層がイメージされます。
 この人は「自民党が再生するには徹底した行政依存型の政党になれ」と皮肉をこめて言っています。その対抗軸でいくと民主党は経済自律型の人々を対象にした政策展開をしていく必要があります。その点では鳩山さんの表現と符合していることになります。
 何を手がかりにしたかと言うと、自民党の有力な国会議員50人を選んで選挙公報を頼りに、行政依存型か経済自律型かを調べ挙げていますが、圧倒的に行政依存型になっています。特に加藤紘一さんは東京では自律的なことを言っていますが選挙公報では「道路を何処につくる」と並べ立てています。80%は利益誘導型の選挙公報になっています。自民党の中で利益誘導型になっていないのは小泉純一郎さんと石原伸晃さんです。
 民主党10人の選挙公報は全て経済自律型になっています。これで自民党との相違を明確にしていく必要があります。
 鳩山さんは憲法改正を2年のうちに出したいとも言っています。国のあり方から議論すると言っています。これは非常に大切です。しかし、国のあり方から議論すると果たして2年の間に改正案ができるでしょうか。そして首相公選論を唱えています。これは中曽根さんの主張と一致しています。この点について中曽根さんは「おじいさん(鳩山一郎)の時から同じであった」と、盛んに言っています。中曽根型の政界再編の布石なのかとも感じられます。しかし、国のあり方から考えると中曽根さんの国家戦略は浮沈空母的、国家主義的な国家観、もっと言えば19世紀の国家観から抜け出ていません。これでいいのかとの疑問が残ります。鳩山さんはそのような国家観は持っていません。
 民主党は結党の時から「主人は市民」と言う説明をしました。では市民とは何か。ここ数年、日本には市民社会があったか、なかったかの議論があります。あったと言う人もいればなかったと言う人もいます。市民とはヨーロッパの18、19世紀のブルジョアとしての市民を考える必要はないと思いますが、経済自律型の人間を市民と言ってもいいでしょう。有権者、国民に分かるように「市民が主人」と言った場合、市民が何なのか、市民像を明確にしていく必要があるでしょう。 
 公共事業の見直し論が盛んに言われていますが、「公共」も明確にする必要がでてきます。人間を類型化する時に個人と集団を横軸に置くと縦軸は公(おおやけ)と私になります。民主党は個人と公のところで明確にしていく、そのようなイメージを持っています。そうしないと新しい21世紀型の公共事業が明示できないのではないでしょうか。自民党は集団と私と言う次元で今までの公共事業を展開してきました。
 鳩山さんは2、3年後に政権をとると言いますが、政権構想を出すよりも政治構想を示すべきです。これが今一番明確なのは国家像からして小沢一郎さんです。そうして、中曽根さんだと思います。鳩山さんには政治構想、未来像が見えてきません。政権構想の前に政治構想を出していかないと自民党と同じことになりかねません。
 政治構想をつくる時、ここでは何かを示すことはできませんが、結局はそれが政治の核心だと言うことです。言い換えれば核になっている思想なり哲学なり、価値次元を何処に求めるか、これがどうもはっきりしてこないのです。
 今は20世紀から21世紀の分かれ目、分水嶺です。40年近くパリに住んで、もう亡くなりましたが彫刻家の高田博厚の自伝に『分水嶺』と題のついたのがあります。彼は30歳になって妻子をすててパリに行きました。これも自分の人生にとって一つの分水嶺です。あるいは大戦中、敵対国のパリに居られなくなって2年程ベルリンへ行くことになりました。これも分水嶺でしょう。
 この自伝の中に「思想は行動である。日本ではただの観念とか概念でかたづけられているが思想は社会行動と同様の人間行為である。精神の自由を守ることはそれだけの自己負担を意味する。」(同書54頁) 
 要するに思想は観念や概念ではない。それは行動だと、そう言う信念を持っていました。一個人としてではなく、政党にとっても同じです。常に民主党が政策化して行動する。その行動を主体的に民主党がする場合、あるいは有権者が民主党を支持する行動も同じことです。これを私は民主党に望みます。
 分水嶺に立っている21世紀を展望して、ますます不透明な時代がやってきています。日本は国際国家ではなく、共生国家を目指すべきです。グローバリゼーション、IT革命と言われる中で情報に国境はありません。国際ではなくなってきています。インターネット市民社会へと、今や情報の時代です。そのことを考えるなら、日本は共生国家を目指して進んでいくべきだと思います。

 

この内容は2000年8月29日シヤトレー・イン横浜で行われた講演を記録したものです。講演者の話の趣旨はなるべく忠実に伝えるように心掛けていますが、文章化するにあたり、その性質上多少異なる場合もあります。尚、記事の掲載に誤りのある場合は講演内容を優先するものとし、お詫び申し上げます。