第18回
1999.4.22 ホテル横浜ガーデン

東海大学政治経済学部経営学科
教授 平田 光子 先生


1976年 津田塾大学学芸学部英文学科卒業
1976年 日産自動車株式会社入社 
1989年 ウイリアム・エム・マーサー株式会社入社
1990年 (有)ジェイアンドエムコーポレーション設立参画
1992年 慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士課程卒業(MBA)
1995年 慶応義塾大学大学院経営管理研究科博士課程終了
1998年 慶応義塾大学より経営学博士号学位(Ph.D.)授与
1999年 東海大学政治経済学部経営学科 助教授

主な学会活動
日本ベンチャー学会コーポレートベンチャー部会世話人組織学会、国際企業家学会など


第18回講演(1/6ページ)

 

ベンチャー企業論「経済低迷を救うベンチャービジネス」

 

●出発点は日産自動車、そして慶応からの再始動
 今年4月から東海大で教壇に立ちますが、以前に日産自動車にいた人間が、どうしてベンチャー企業に興味を持ったのか、本題に入る前に自己紹介方々この辺をお話ししたいと思います。
 最初、日産自動車の中で組織とか事業とか教育を担当していました。2年ほど経って、アジア全体の経営、マーケティングなど、全般を国単位で見ることになりました。その中で一番長かったのがタイです。タイは年間10万台市場で、1トントラックが中心ですが利益率がいいんです。
 当時、米国、ヨーロッパに比べるとそれほど日の目は見ていないんですが、なかなか頑張っている市場でした。そこを任されました。実際、タイだけを任されたのは5〜6年です。その後はアジア全体のマーケットを見るようになりました。この時、非常に印象に残ったことは、民族資本によるタイ人の会社をディストリビューターに指名していました。
 当時、ディストリビューターには上下関係があります。日本でいえば新日鉄であるとか、それに近い優良企業なんですが、上下関係でいうと日産が上の関係になるわけです。
 私は「メーカーとディストリビューターはあくまでも上下関係ではなくて、お客であり大切な商品を買って戴く大切な顧客のまとめ役」と答えました。そんな中で、1回出張すると約1カ月間タイに滞在して、国中を回るという経験をしました。
 その中で分かったことは、民族系企業の規模は5万6,000人で、ディストリビューターは200人ほどでしょうか。数からいえば全く違うんですが、トップは中国華僑系が経営権を握っていました。その下の部長クラスは米国で経営学博士号をとった人が5、6人います。
 当時の日本の大企業をみると、会社は課長、部長、取締役、社長と、階層制を組織していましたが、その会社をみるとソーシャルクラスの階層と知的クラスの階層があり、全く違う階層で組織を運営していました。
 当然、経営者の後を継ぐのは創業者の血縁関係ということになりますが、ブレーンの人たちがプロフェッショナルとなって、周りで経営組織になって支えています。
 私は、大企業だけがそういう経営組織体ではないんだ。全く関係なく、数が少なくてもパワフルな経営ができるのではないかと言うことを発見し、それ以来ずーっと大企業の経営でない「効率的な素晴らしい経営って何だろう」と気になっていました。
 当時はバブル真っただ中。私はヘッドハンターから外資系のコンサルティング会社を紹介されて、1年間コンサルタントとして外資系日系企業や中堅企業で働く中、日本は新しい経営が必要であり、それに向かっていかなくてはいけないと思い慶応のビジネススクールに入ったわけです。
 新しい経営がベンチャー企業というものに結びついていくということだと思います。

 

●ベンチャー企業は革新性
 さて、ベンチャー企業というとマイクロソフトなどを思いだします。日本ではハイリスク・ハイリターン、あるいはハイテク産業の新しい企業であるとか、このように言われています。私はアメリカの国際起業家学会というベンチャー企業を研究するグローバルな学会で発表させて戴くために今度アメリカに行きますが、世界でベンチャー企業と言われる概念はハイリスク・ハイリターンであるとか、世に言うハイテク産業ではないんです。
 今は製造業、サービス業の中で新しいユニークな資源の組み合わせによって革新的な製品、あるいは革新的なサービス、革新的な経営手法を駆使する会社がベンチャー企業なんです。そこには、例えば大企業であるとか、中小企業であるとかの数の軸ではないんです。革新性があればベンチャー企業と認められるんです。私もベンチャー企業はこのような「革新」という形で捉えています。
 21世紀の日本は経済のどん底にあります。どうやって経済を回復していくか。どうやってベンチャーが経済回復の牽引役となるか。私もずーっと思い続けています。
 ベンチャーが日本の経済を救えるかどうかと言うチャレンジングな題材での話なんですが、具体的にベンチャーの現状を米国と日本で比較してみると、日本の事業所の開設率と廃業率の推移で注目して戴きたいのはトータルの増減率です。
 92年がバブル崩壊の年でした。つまり、その前から増減率では実はマイナスになっているんです。創業より廃業の方が多くなっていたんです。ここで、既に経済失速のシグナルが統計上では出てきているんです。ただし、製造業での増減率で比べるとトータルでは少なくなっているんです。
 このことで分かるのは、経済が低迷すると同時に起業の活力が止まったのが一つ目のメッセージです。
 しかしながら、製造業の減り方に対してその他の産業、主にサービス産業、流通産業などの第三次産業の減り方はそれほど低くはないんです。これは産業構造の転換が起業行動を起こす中で明確に表われている。これが二つ目のメッセージです。これが日本の現状です。
 これに対して米国ではどうでしょうか。アメリカは今バブルで好景気が続いています。1980年代は失業率が5パーセントであるとか、今の日本と同じで、自動車産業も非常な苦境に陥って日本に圧力をかけてきた時期でした。にも関わらず、起業率は廃業率を上回っていました。特に好景気が続いた90年代よりも不景気だった80年代の方が高かったんです。
 例えば84年が3.5パーセント。85、86年は少し減りましたが回復して87年も3.5パーセントと、景気が非常に悪いにも関わらず増加率が高かったわけです。
 そこで、日本政府はベンチャーが会社を起業することが日本の経済力の活力、経済の低迷を底上げしていくと考えた所以でありました。
 何で米国では、経済が低迷した時に起業率が上ったのに、日本では経済が下がっていくと同時に起業率が減ってしまったんでしょう。たぶん、この辺が日本がこれからどうしたらいいかと言う、考えるヒントがあると思います。

第18回講演(2ページへつづく)