第16回講演(8/8ページ)

 

●日本は政治再生でなく創成の時代
 そういうことを振り返ってみると、現在の日本を再生するために経済政策、具体的なものではありませんが何が求められるかがあります。私は日本の再生、あるいは日本政治の再生というよりも、竹下さん流に言うと現在は日本政治の創成という言葉を使いたい。今までは、いってみれば政治がなかったといってもいい程の感じがしています。再生でも創成でもどうでもいいのですが、これをするためには何が大事かです。
 先ず第一点は55年体制を、もう一度真面目に総括することから始める。つまり38年間続いた自民党政治、これを政党レベルであれ国民レベルであれ、これを総括するのが大事な点です。これは日本の民主主義の問題に関連してきます。先程の参院選の結果をどう読むかに関連してきます。非常に民主主義が遅れているということです。
 もう一つは冷戦の終えんをどう理解するか。これは政治、外交問題、そして現在ある経済の問題です。これはすべて冷戦をどう受け止めるかに関連しています。現在の経済も明らかに冷戦の終えんに構造的には関連している問題だろうと考えています。従ってこの点が問われなければならないと言えます。
 今後、日本にはどのような役割が期待されるかですが、以上の点をどのように踏まえるかで変わってきます。
 第一は経済大国としての役割があります。現在は沈没しそうですが、舵取りによってはそう簡単には沈没しません。これはイギリスがいい例だと思います。
 世界のGDPの約4分の1を日本が占めています。大国中国は、現在これ程成長しても今年の数字でみるとせいぜい日本の7分の1程度です。全体でみると世界経済は三極であることは間違いありません。アメリカと日本とEUです。ヨーロッパは一国単位では小さいですがEU単位になりますからこの三極です。あくまでも国際経済ではなく世界経済です。その世界経済に対する役割が期待されるということだろうと思います。それが、ひいては今、混迷しているアジア経済の再生につながる道だろうと思います。その時に経済大国を55年体制の総括の仕方によるわけですが、確かに政治上では利権政治とか言われますが経済大国にした功績は自民党にあることには間違いありません。それが今までは肯定されてきました。それは戦後の荒廃から奇跡の復活を遂げたわけです。それは言ってみれば経済第一主義、生産第一主義です。言葉を変えると抽象的ですが、豊かさを求めた経済運営だったと思います。

 

●日本は核兵器の廃絶に貢献すべき
 ところが現在、その豊かさは心の豊かさではなくて、物の豊かさです。しかしこれはほぼ満たされました。これがブレアが狙っているところと同じですが、日本も同じ状況にあります。非常に豊かです。従って今後、経済大国としての役割は何かというと、その経済の基本を豊かさの追及ではなくて、幸福の追求ということに方向転換すべきだろうと私は思うのです。その幸せも極めて抽象的です。個人的なものかも知れませんが、既にそういう段階にきています。
 政治レベルでいうと幸福はよく使われますが自己実現、市民の自立性、個人の自立性というようなことだろうと思います。これを追及する条件を整えることで、経済大国としての役割が期待されます。そしてそれは具体的には海外援助ですが、盛んに批判されていますが、衰退の一途であったイギリスでさえも紐付きの援助ではなくて、無償援助をはるかにやってきました。日本は今後、このような無償の援助を第三世界の国々に対していかに行えるかということがあります。
 もう一つは、その日本の経済大国のおカネをどういうところに使うかというと、語弊があるかも知れませんが、世界の核兵器の廃絶の方向に向かうべきだと思います。そういう意味で、先程、核弾頭の半減を唱えたブレアは評価することにつながります。ちなみに日本のカネを核廃絶に使うべきだと、なぜ考えるかといいますと、1946から93年、いわゆる冷戦下において、核開発に使われたおカネが当時のおカネですが2兆3120億ドルで、おそらく現在のドル換算にしますと5兆ドルを超すだろうと思われます。これが核開発に使われています。主に米ソです。そして核実験が発表されているだけで2000回以上です。ソ連は解体しロシアとなりました。しかし解体しましたがウラン238が100万トンくらいは貯蔵されています。そして1グラムのプラトニウムを保管するだけで、年間約2ドルかかるといわれています。大変おカネがかかります。プラトニウムの半減期は約2400年です。そういうところにおカネを使う方が世界から歓迎されるのではと思います。
 イギリスから学ぶ、サッチャーからどこを学ぶか、どこを否定するか、あるいはブレアの労働党政権の何を学ぶかについては具体的に触れることはできませんでしたが、最後にただ一つ、日本の政治に欠けている「創成」という言葉をあえて言いましたが、日本の政党、政治家に政治に対する構想力、これが欠けています。これが決定的です。
 戦後をみると、吉田茂と田中角栄であったと私は思います。現在は状況が違いますが、現在のようなグローバリゼーションの時代に、政治も経済もどのように構想するか。この構想力はあえて言うなら思想なり哲学なりに帰着してくるだろうと思います。これも政治家に求めていきたいと思います。
 そういう意味では政治家は重大な責任を負っています。これは世界的に混迷しています。しかし、イギリスはブレア革命という言葉が既に使われているように、政治に対する構想力を持った政策展開が出てきています。政策争点は具体化しますが、どのようなものを具体化するかが政治家の世界観なり、思想なりというものに反映するだろうと考えています。自己決定力のなさとか、みんなそこに帰着してくるだろうと思います。

 

この内容は1998年7月22日シャトレー・イン横浜で行われた講演を記録したものです。講演者の話の趣旨はなるべく忠実に伝えるように心掛けていますが、文章化するにあたり、その性質上多少異なる場合もあります。尚、記事の掲載に誤りのある場合は講演内容を優先するものとし、お詫び申し上げます。