第15回講演(4/4ページ)
●北方領土問題はこの1、2年が山
日露関係は今後、大きく展開すべきなんですが、そう簡単にはいきません。その辺の交渉を来年、再来年で決着しませんと、いつまでたっても決着のない国交関係になるんではないかと思います。
つい2カ月くらい前にモスクワに行きました。その時共産党のホテルに泊まらされました。ずいぶんとだだっ広いホテルで、帝国ホテルより少し大きいホテルに、おそらく10人も泊まっていなかったかと思います。そのホテルに泊まっていたら、ロシアの外務省から連絡が入って、誰もいない所で会いたいということで、先程のサプリンという男がやってまいりました。
その時の話は橋本、エリツィン会談の行う場所の問題でした。私も行く前に外務者と話し合っていて、なるべく日本に近いところでということで、私の方が「ウラジオストクでやれ」と言ったんです。ところが結局ロシアの奥地に近い所になってしまいました。後から聞いてみたら、ウラジオストクにエリツィンがいって橋本会談をやったら、必ず領土問題がみんなの注目の的になるはずだということなんですね。「そこでやって、もしかその結果、その地域住民なり、もしくはそこの行政機関を逆なでするようなことになったら、北方領土問題は今後進展しないから、なるべく遠いところでフンワリとその点は話ながら、平和条約ということで会談を成功させたいんだ」と言っていました。それでウラジオストクは駄目だなと思ったら、案の定、クラスノヤルスクに会談場所が決まりました。
今度エリツィンが日本に来たら「函館でやれ」と言って、函館が大騒ぎしているんですね。
北海道のロシアの総領事も東海大の卒業生です。この前札幌で会ったら、エリツィンに来てもらいたくないと言うんですね。それは、自分が大変だからというんです。仕事が増えてしょうがないと言うんです。非常に単純な話です。
あるいは、函館で行う可能性も出てくると思います。
しかしエリツィンそのものが調子悪いですから、いつごろ退院できるか、国際活動に絶えられるかわかりません。もしエリツィンがダウンしたら困ります。死ぬ寸前に置き土産で北方領土問題を解決していけと言いたいぐらいですね。しかし、どうも最近、彼の調子は良くなくて、回復不能に近いという情報も入っています。寝たきりで動きができないということではないようです。
みなさん来年は日ソ会談がいろいろなクラスで行なわれることになります。多少なりとも具体的に進展することになります。来年、再来年の2年間が勝負だと考えていいと思います。2年たつとエリツィンは大統領選挙で忙しくなります。橋本首相はいつまで続くかわかりません。そういうことです。
今日は、ロシアとの関係、得にウラジオストクに穴をあけたということを中心に話しました。先程、戦略価値の話をしましたが、それはこういうことです。
ウラジオストクにいる太平洋艦隊が日本海ではなくて、太平洋、オホーツク海、その他の外洋に出るには、こういうルートしか考えられないわけですね。対馬海峡はちょっと無理です。そうすると、国後、択捉はかつては戦略的に重要な価値を持つ、ところが最近は基地がペトロハバロフスクに移動しました。これは太平洋ですから、出ていけるんでその心配はなくなった。まして間宮海峡は絶対に通れない、東海大の船でも船長に言ったら首を振って「絶対に行かない、何があるかわからない」と言っています。一番深いところで確か11メートルです。それをたどりたどって行くのは大変なんです。一番浅いところで30センチです。そんな所はとても通れません。このような状況です。
このへんで今日のお話を終わらせていただきます。
この内容は1997年12月22日シャトレー・イン横浜で行われた講演を記録したものです。講演者の話の趣旨はなるべく忠実に伝えるように心掛けていますが、文章化するにあたり、その性質上多少異なる場合もあります。尚、記事の掲載に誤りのある場合は講演内容を優先するものとし、お詫び申し上げます。 |
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