第14回
1997.7.15 シャトレー・イン横浜
衆議院議員 松浪 健四郎 先生

昭和21年10月大阪泉佐野市生まれ

日体大卒業後、米国・ミシガン大学に留学
日本大学大学院、博士課程修了

青年海外協力隊技術専門委員、文部省競技スポーツ課協力委員、日本アフガニスタン協会理事長、日本レスリング協会総務委員長など

東海大学講師、麻布大学講師、日体大大学院講師、専修大学教授を歴任

平成8年衆議院議員初当選

主な著書
「アフガン褐色の日々」「古代宗教とスポーツ文化」
「シルクロードを駆ける」など多数


第14回講演(1/4ページ)

 

武士道と題して

 

●武士道は国家国民のために命を捨てること
 ご紹介にあずかりました松浪建四郎です。今日は講師としてお招き賜わりました事を篤くお礼申し上げます。

 私はスポーツ人類学という学問を専門にしてまいりましたが、多くのみなさんは、そんな学問、聞いたことがないとよく言われます。
 例えば日本書紀という古典がございますが、その古典の推仁天皇7月7日の上、というところをくりますとノミノスクネとタニノミハヤが相撲をとったという記述があります。歴史的にみてこの相撲が一番古いと言われているわけですが、古事記の中に国譲りの相撲がでてまいりますから、その真意は定かではないですけれど、今から千数百年前にフンドシ姿であんなケッタイな格好で相撲をとった。その相撲がズーッと今日まで受け継がれてきました。 
 なぜあのケッタイなスポーツがこの国に始まり、なぜ伝わってきたのか。それは第一にこの国の風土がつくった。そしてこの国の風土が育んだであろう国民性が相撲を伝えてきた。その民族が心のよりどころにしたであろう宗教、神々が相撲を今日まで伝えてきた。このように言われているわけです。
 従いまして相撲の歴史を研究しよう、勉強しようということになりますと風土、民族性、そして宗教を勉強しなければ分からないということになります。相撲に似たような、レスリングに似たような、或いは柔道に似たような格闘技はごまんとありますが、格闘技の生い立ちは全部異なってまいります。
 そこで私は東アジア、中近東のいわゆるシルクロードと言われている地域のスポーツについて、リクレーションについて、ゲームについて研究してまいりました。きょうは武士道という硬いテーマでお話させて戴くわけですが、日本の武士道は鎌倉時代に完成したと言われております。となりますと、それ程の古さを持たない。なぜならば朝鮮半島にはもっと古くから武士道に似かよったものがあったからだという史実があるからです。
 紀元前二世紀、高句麗に先人(ソンベン)制度というのがありました。高句麗という朝鮮半島の社会は身分制度がはっきりしておりましたが一般大衆の若人の中から文武に優れた人間を集め、そして王のため、主君のため、国家のために命を捨てる、この制度を先人制度と言います。これに選ばれたならば一般の師弟であっても大変なエリートでありました。その代り主君や国家のために命を捨てる、その覚悟をする。そしてその教育を受ける制度は紀元前二世紀からあったのです。
 百済、新羅という国は高句麗の先人制度をまねて花郎道(ファンランド)という制度を作りました。これも概ね先人制度と同じで、私に言わせれば武士道であった。しかもどちらも海を越えてこの国にやってきている。そしてだんだんと武士道が完成した。このように決めつけていいと思います。
 従って日本しか持たない武士道精神とか武士道魂、武士たる者は己の魂、死に場所を探すことだ。
 我々国会議員ももし武士であったならば国家国民のために命を捨てる。このことだと思っておりますが昨今の国会議員には度胸がありませんで、次の選挙に勝つためにはどうすればいいか、腰の軽い、腰のすわっていない政治家ばかりだと私は落胆しており、そんな政治家にはなりたくないな、国家国民のためにいつでも命を捨ててもいい、この腹づもりで政治家として日々活動させて戴いているところですが、我々日本人はプライドの高い民族であります。そして私たちは私たちなりに色々やってきましたが、日本人程、物を考える事のできない民族は少ないのではないか、私はこのように思っております。
 全てと言っていいくらい私たちの文化は海を越えて大陸から、或いは朝鮮半島からやってまいりました。モンスーン地帯、台風がある、雨が降る、そして木の文化を持った。そこで器用さを身につけた。この器用さが大きな物を小さくする事によって輸出を盛んにし付加価値を付けて経済成長を成し得た国なんだ、とこのように思われますが、日本人は殆ど物を考えなかった。従って武士道もその内の一つであると考えられるわけです。

 

●日本の武士道はペルシャにその起源をさかのぼる
 ところが、日本の武士道はオリジナティーに富んでいて日本独自の物である。このように言われていたものが、どうも朝鮮半島のファンランド、或いは先人制度に類似しその影響を受けてきたといっても過言ではない。
 それでは朝鮮半島の先人制度やファンランドが朝鮮半島の人々のオリジナルかというと、それもどうもオリジナルではないのではないか。私はそう考えております。それでは一体どこに武士道のような精神を、原点を見つければいいのかということになりますが、私はスポーツの歴史家として長い間研究してまいりましたが、大体それはペルシャに求める事ができるのではないのかと考えております。
 ペルシャ、今のイランですが旅した人たち、くまなく地方にまで足を伸ばされた人たちは一つの事に気付かれます。それはどの地域に行ってもどんな小さな村に足跡を残したとしても、そこには必ず「ズルハネ」という建物がある事に気付かれます。「ズル」はペルシャ語で力を意味し、「ハネ」は家を意味します。力の家、これがどこにもあるという事です。そしてそこに、毎日、三々五々、年寄りから小さな子供、青年に至るまでたくさんの男性が集まってまいります。
 そこで何をするかと言いますと、文字通り力の家ですから、力を付けるため、体を鍛えるために人々が集まってまいります。トレーニングするわけです。
 幾つかのトレーニングがありますが、現在のイラン人も体を鍛え、その強い体を国家に、或いはイスラム教に、或いは己たち民族に捧げるという修業を成すわけです。
 つまりこれもイラン、ペルシャの武士道と言っても過言ではありません。この人たちをぺルシャン騎士とよんでいいものだと思いますが、この歴史は実は物すごく古いものでありまして、パフェバンと呼ばれるぺルシャン騎士道が世界中の中で最も古い武士道らしいものである、とこのように考えております。
 なぜ、そういう武士道が荒涼とした一木一草も生やさない風土のイラン、ペルシャで始まったかというのを勉強しておく必要があると思います。とにかく厳しい風土の国です。その厳しい風土の中で彼らは生き抜いていかなければならない。何を考えたのかというと、強烈な宗教を持つ事でした。その宗教とは紀元前九世紀の中葉、ゾロアスターという人が始めたゾロアスター教です。日本語で排火教と呼ばれています。
 火を崇拝する、そして聖なる神アブラハウスを祭る、そういう宗教です。この宗教は幾つかの特徴があります。先ず一つは人間の肉体が死んでしまえば、それを自然に分け与えるという意味から「鳥葬」という葬式をやります。鳥に食べさせるわけです。
 彼らはペペ、丘のような所にダフネと呼ばれる大きな塔を泥でつくります。その中に死体を入れるんです。そうするとラベルダイヤと呼ばれる鷲の一種の大きな鳥がやってきて、アッという間に見事に死体を髪の毛と骨だけを残して食ってくれる。そういう葬式をやります。
 ところが現在アジアにゾロアスター教が残っておりますが、そういう地域に大きな鳥がおりません。死体を30センチくらいに小さく刻んで鳥葬台に並べる、そういう葬式をする地域もありますが、一部のペルシャでは亡くなった人をそのままダフネの中に入れてきれいに食べて戴くというような葬式をやります。これがゾロアスター教の一つの特徴です。
 もう一つは近親婚といいまして、比較的近い身内同士で結婚を勧めるという特徴があります。これは集団の力を集めるために、強くするために身内で勢力を固めるという事、これを特徴にしてまいりました。これが大きな特徴であり、ほかにもあります。
 例えば犬を大切にする。または独身がいれば異性を紹介する、結婚を勧めるなどの特徴もあります。これは過酷な風土の地ですからたくさん子供を産む、死んでいく人も多い、そこでたくさん産ませなければ自分たちの勢力を拡大することができない。
 そこでこのような特徴があるのかも知れませんが、概ね聖なるショウアベスタという聖典の中に色々な事が書かれております、シンプルな宗教である事も確かです。それは二源論と終末論という二つの考え方で宗教が成り立っているという事実です。

第14回講演(2ページへつづく)